2007年04月07日

知伯

知伯 能力データ
魅力 7 / 統率力 8 / 戦闘力 7 / 政治力 4 / 知力 7

知伯は、春秋時代末期の大国晋において君主を凌ぐ最大の勢力を誇った知伯氏の当主で、知勇兼備、且つ美男子であるという正に英雄そのものの人物だったが、非常に貪欲であるという欠点も同時に備えていた。
晋における知伯氏の他の3つの大勢力(趙・韓・魏)を併呑せんと企み、まずは自身に恭順の姿勢を見せない趙を攻めようと韓と魏を従えて軍を発する。趙は難攻不落の城に籠もり徹底抗戦するが、知伯氏はこれに対して近くを流れる河に堤防を築き、城へ水を流し込んで孤立させる(史上水攻めを最初に行ったのはこの知伯)。
だが、自身の驕慢さが仇となり、韓・魏に裏切られて趙とともに攻められ落命。

客分の予譲が知伯の為に生涯をかけて趙襄子の暗殺に動いた話も有り、一概に驕慢の人とは論じきれないところは有る。
posted by ただの中国史好き at 18:43 | Comment(2) | 春秋時代

趙襄子

趙襄子 能力データ
魅力 7 / 統率力 8 / 戦闘力 6 / 政治力 6 / 知力 7

趙襄子は、戦国時代の強国趙の創始者となった男。
春秋時代末期、大国晋は君主の力が弱体化し、重臣が力を得て四つの勢力に分かれる。それが、知伯・趙・韓・魏。このうち知伯氏が抜きん出た勢力を持ち、他の3氏の併呑を狙った。まずは韓・魏を従えて趙を狙ったが、趙の時の当主である趙襄子は家来を韓・魏両軍に派遣し、趙が滅びれは次はあなた達の番だと共同で知伯を倒す様に説得する。
韓・魏とて趙と同じ立場である事は間違いなく、遂に知伯を裏切り、趙は知伯氏によって水攻めにされていた状況を脱して一斉に攻め込み、趙襄子は知伯氏を打倒する。

こうして、知伯氏が滅びると共に大国晋は趙・韓・魏の三国に分裂して戦国時代が幕を開ける。
posted by ただの中国史好き at 18:21 | Comment(0) | 春秋時代
2007年03月11日

西施

西施 能力データ
魅力 10 / 統率力 0 / 戦闘力 0 / 政治力 0 / 知力 3
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西施、姓名は施夷光。上の絵では一番左が西施。
春秋時代屈指の傾国・傾城(国を傾ける・城を傾ける)の美女。他に春秋時代の美女と言えば夏姫が挙げられる。ちなみに、西施は王昭君、貂蝉、楊貴妃と共に中国四大美女にも数えらる中国を代表する美女。
彼女が川で足を出して洗濯をする姿に見とれて魚達は泳ぐのを忘れてしまったり、「顰に倣う」の語源にもなった西施の胸が痛む持病の話がある。ある日その発作が起きて彼女が胸元を押さえ、顰(眉間)に皺を寄せた姿は何とも艶めかしく、か弱い女性の美しさが滲み出ていた。彼女が里から歩いて来るその様に、里の人たちは皆目が釘付けになったという。

范蠡にその美貌を見出され、鄭旦らと共に呉王夫差の元へ意を含め送られる。即ち、呉王夫差を自らの魅力で籠絡し腑抜けにする事。見事西施は役目を全うし、呉は越によって滅ぼされる。その後は范蠡に引き取られ、余生を彼に寄り添いながら穏やかに幸せに暮らしたという。
だが他方で呉が滅びた後に勾践夫人が彼女の美貌を恐れ、夫も二の舞にならぬように西施を生きたまま皮袋に入れて長江に投げられたという説もある。
posted by ただの中国史好き at 12:47 | Comment(4) | 春秋時代
2007年03月07日

范蠡

范蠡 能力データ
魅力 8 / 統率力 8 / 戦闘力 4 / 政治力 8 / 知力 9

范蠡は越の句践に仕えた名参謀。
当時江南地方を呉と二分していた越は、強国呉の存在が故に中原への進出が出来ないでいた。
呉との決戦で敗北した越は句践が捕虜となり滅亡一歩手前までいくが、范蠡は身を変え句践の元に行って励まし、呉王夫差には美女西施を仕わして籠絡し、呉が中原への覇を目指して軍を発したところを急襲。瞬く間に呉都に壊滅的打撃を与える。これに激怒しとって返した呉軍と再び決戦となるが、伍子胥亡き呉軍は取るに足らぬとばかりに見事打ち破って夫差を捕らえ自殺に追い込み、句践を覇者とした。

范蠡のその鬼才たるや軍事のみに止まらず、句践が覇者となってからは臣下を辞して名を変え、商業で成攻。莫大な財産を築いてその名、陶朱公は大金持ちの代名詞となった程。
posted by ただの中国史好き at 15:40 | Comment(6) | 春秋時代
2007年02月12日

孫武

孫武 能力データ
魅力 8 / 統率力 9 / 戦闘力 5 / 政治力 3 / 知力 8

孫武は「孫子の兵法」で有名な春秋時代、いや中国史を代表する兵法家。
呉に仕えた孫武は、その著「孫子」で春秋時代前半まで濃厚に蔓延していた古い体制を打破し、貴族や兵の強さのみに重きを置かず、集団戦・情報戦の大切さを説いた。
実際、軍の訓練の為に呉王闔閭に仕える女性達を使って模擬訓練をした際、真面目に従わない女性がいた為、孫武は隊長役の呉王闔閭の寵姫2名を斬り、それを見た美女達が粛々と命に従い動いた事で呉王闔閭を黙らせ、納得させた。

孫武の兵法は長く兵法のみならず現代においてもビジネスの実践書として人々の参考にされている。
posted by ただの中国史好き at 18:50 | Comment(4) | 春秋時代
2006年10月22日

伍子胥

伍子胥 能力データ
魅力 6 / 統率力 7 / 戦闘力 6 / 政治力 6 / 知力 8

子胥は字で本名は伍員(ごうん)。母国楚の王である平王により父と兄を殺された伍子胥は、絶対の復讐を誓って追っ手から逃れ楚を脱出。生死を彷徨いながら遠路呉に着く。
ボロボロの身なりの伍子胥を迎えたのは、現呉王の従兄にあたる公子光。彼の参謀として献言出来る立場となった伍子胥は憎き楚への復讐心を抑える事が出来ず次々に楚への侵攻を公子光へ進言するが仲々採り上げられなかった。公子光はまず他国への侵攻よりも、本来自分が座るべき国王の座を如何にして奪取するかを考えていたからだ。
それを察した伍子胥は公子光に胆力が有り、剣の達人でもある専諸を薦めて隠遁する。やがて来るべきクーデターの際、呉王僚を守る幾重もの警備の中で専諸は王を刺殺。同時に自身も息絶えた。

こうした血生臭いクーデターの後に即位した公子光改め呉王闔閭は隠遁していた伍子胥を呼び寄せ、瞬く間に楚を攻めて楚都を攻略。伍子胥は既に死んでいた平王の墓を暴いて、鬼気迫る形相で死体がバラバラになるまで鞭打った。
呉王闔閭を覇者へと導いた伍子胥だが、隣国越の決戦によって呉王闔閭が戦死すると子の夫差を先導して後年見事復讐戦で越を下すが、夫差の甘さによって越王勾践を見逃すと、夫差との間に埋まり難い溝が出来る。やがて夫差の疑心暗鬼により自害を命じられ、悲惨な運命によって身に沁みた壮烈な気性で生涯を駆け抜けた伍子胥は悲し過ぎる最期を迎える。
伍子胥の死を越は喜び、呉を攻め滅ぼした事は言うまでもない。

以後、怨霊神として信仰の対象となっている。
posted by ただの中国史好き at 23:10 | Comment(4) | 春秋時代
2006年07月16日

桓公

桓公 能力データ
魅力 8 / 統率力 7 / 戦闘力 5 / 政治力 8 / 知力 8

権力が低下した周王朝に代わり、諸侯の秩序を保つ存在として出現んした覇者、それが春秋五覇(春秋時代に出現した5人の覇者)の筆頭に挙げられる桓公である。桓公は父が君主の時に太子ではなく、長兄の諸児(襄公)が後を継いだものの実の妹と肉体関係を持ったり、信賞必罰でない等、無道・非道な為に斉には不穏な空気流れていた。これを悟って桓公と次兄の糾は国外へ逃亡。やがて襄公が臣下に殺害されると後継者となるべく二人は斉への帰国を急いだ。途中で管仲に妨害されるものの機転を利かして先に斉都へ着き、桓公が後を継ぐ。ところが、信頼する鮑叔牙が管仲の大才を推した為に宰相として登用。器の大きさを見せた。
以後、桓公は管仲の補佐も有って富国強兵に専念し、一気に斉を最強の国にした。その信義が諸侯の信頼を呼び、即位7年目に覇者となった。
posted by ただの中国史好き at 17:45 | Comment(4) | 春秋時代
2006年05月12日

管仲

管仲 能力データ
魅力 6 / 統率力 6 / 戦闘力 4 / 政治力 10 / 知力 8

管仲は、春秋五覇の筆頭に挙げられる桓公を事実上覇者に導いた名宰相。
斉の亡命公子糾に仕えた管仲は、後継者争いで公子小白(後の桓公)に破れる(この時、管仲は小白を射殺仕損ねた)。だが、即位した桓公は管仲が稀有な才能の持ち主だと知るや、自身を狙った事を水に流して宰相に任ずる。
その後の管仲の働きは目覚しい。商工を奨励し物価を安定させ、急速な富国強兵を成し遂げ、強国斉の基礎を造り上げ、桓公を覇者にした。
posted by ただの中国史好き at 16:23 | Comment(12) | 春秋時代
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