2008年04月14日

周亜夫

周亜夫 能力データ
魅力 5 / 統率力 8 / 戦闘力 6 / 政治力 3 / 知力 6

周亜夫は、劉邦の漢帝国樹立に功有った周勃の子で、河内郡太守から兄が罷免された後を継ぎ侯となる。
将軍として北方防衛にあたっていた際、後の文帝(劉邦の子)が陣中を訪れた時に兵士が例え皇帝といえども陣中にみだりに入る事は出来ないという軍律を固く守り、文帝を阻んで入れさせなかった事件が有り、文帝はその件で周亜夫について感心し、真の将軍であると褒めた。

その後、呉楚七国の乱が起こり漢帝国が揺らごうとした時、時の皇帝である景帝は周亜夫を将軍として派遣。周亜夫は敵が団結しない様に敵の本拠地と出撃してきた敵軍との間を分断し、補給を絶つ事によって慌てて引き返すところを撃破する戦法で、瞬く間三ヶ月で乱を平定する。

がしかし、周亜夫は大功をたてたものの景帝とうまくいかず、謀反を疑われて絶食して死ぬという悲劇的な最後を遂げる。
posted by ただの中国史好き at 06:24 | Comment(0) | 前漢時代
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