2008年02月11日

項羽

項羽 能力データ
魅力 7 / 統率力 9 / 戦闘力 10 / 政治力 3 / 知力 5

項羽は、中国史上最強の武将と言って間違い無いだろう。
名は籍、字が羽なのだが、項籍よりも項羽という呼び方が有名。
叔父の項梁に育てられて大きくなった項羽は、秦末の動乱に項梁と挙兵。項梁死後は楚軍を自ら率い、鉅鹿の戦いで勇名を轟かせ、以後圧倒的な戦闘力を見せ付けて西進、関中に入って楚王を義帝とし、自らは覇王として君臨する。だが、間も無く漢王劉邦が反旗を翻して北上すると、漢楚戦争に突入。
中国三大軍師に数えられる張良、中国の名将と言えば上位15位以内に挙げられるであろう韓信、内政と補給にズバ抜けた才力を発揮する蕭何、この三人をもってして苦戦せしめた項羽の突出した戦闘力は筆舌し難いものがある。

この項羽の最期を、史記の作者司馬遷も惜しんだ節が随所に見られる。
漢楚戦最期の垓下の戦いにおいて、項羽は最愛の人、虞美人を手にかけた後に名馬騅に跨って城から脱出。追撃する漢軍に次々と護衛の兵が討ち取られて28騎にまで減るが、そこから項羽は漢軍に突撃して何百人を討ち取って追い払う。この際、楚軍で失ったのはたった2騎のみ。凄まじい武力、戦闘力としか言いようが無い。しかし、流石の項羽も力尽き31年の生涯を閉じる。

ちなみに、「保元物語」で登場する怪男児、源為朝(身長2m超、剛弓の使い手)の部下が28騎だったというのは、項羽の最期に付き従った28騎の部下の例に倣ったもの。
posted by ただの中国史好き at 00:31 | Comment(18) | 秦・楚時代
この記事へのコメント
三国志以外の人物評もあるのが面白いですね。
なんせ、巷には三国志関連の書籍ばっかりですからね。

項羽や韓信の評価等に関しては趣味で作っている自作のシミュレーションゲーム作成の参考にさせてもらいましたので、もしお暇なら私のサイトでプレイでもしてください。

今後も、隋末唐初・明成立時・光武帝の時代の
ミニシミュレーションシナリオを予定しているので、もし、情報があれば教えてくだされば助かります。
Posted by 鳥井 秀彦 at 2009年11月03日 23:34
>鳥井秀彦さんへ

ありがとうございます。
中国史の醍醐味とは、三国志から始まり、史記など様々な時代の壮大かつ驚天動地の史実、物語にあると思います。

シミュレーションゲームを製作されているのですね!
私も歴史シミュレーションゲームが好きで昔はよくハマリましたが、コーエーが項劉記どまりで中国史では三国志以外に踏み出したゲームを製作しないのが不満でした(項劉記で失敗したからか)。

楽しみにプレイさせていただきます。
Posted by ただの中国史好き at 2009年11月07日 22:32
項羽対李靖、なんて実現したら面白そうですね。

イメージ的には力対技です。
Posted by 肉 at 2011年09月04日 23:10
>肉さん
項羽は出会い頭に強力な一撃を加えて敵を打ち砕く用兵をするので、
それをかわされると意外と弱いです。
緒戦で敵を粉砕できなかった斉攻略戦や広武の戦いでは苦戦しています。

ですから、緒戦で項羽が李靖の軍を粉砕できたら項羽の勝利、
できなかったら李靖が長期戦に持ち込んで項羽の疲弊を誘って、
隙を見て逆襲に転じて勝利でしょうか。
Posted by お菓子っ子 at 2011年09月05日 02:34
項羽は10代に叔父の項梁に命じられて剣術を習って途中で投げ出し、戦術論も途中で投げ出していましたよね。
それなのに戦場デビューを果たすと剣を振るっては中国史上1,2を争う豪勇ぶり。軍を率いては正面からの攻撃の鋭さはやはり中国史上有数の強さを発揮する・・・
一種の天才と呼ぶべきなんでしょうね・・・

余りにも強すぎたがために、逆に政治力や戦略眼の欠如を呼び起こしてしまった(部分的に傑出した能力を持っていたがため、他の能力の必要性を感じなかった?)という事なのか?
他に類を見ない、中国史上で最も型破りな人物ではないかと感じます。
Posted by 李常傑 at 2011年09月06日 00:46
>肉さんへ

私はやはり力対力が見たいです。

項羽vs尉遅敬徳
項羽vs楊大眼
尉遅敬徳vs楊大眼
李広の剛弓も面白いかも。
Posted by ただの中国史好き at 2011年09月09日 21:56
>ただの中国史好きさんへ

何もない原野で、それぞれが最高にまで鍛え上げた一万の軍どうしで激突させてみたらどうなるでしょうか?

個人的には項羽>尉遅敬徳=楊大眼ですね。
Posted by 肉 at 2011年09月10日 18:36
>肉さんへ

完全なる一騎打ちであれば、以下だと思います。

尉遅敬徳>項羽=楊大眼

ただ、一万の軍同士での激突であれば、私も以下だと思います。

項羽>尉遅敬徳=楊大眼
Posted by ただの中国史好き at 2011年09月10日 21:47
>李常傑さんへ

私も中国史上、稀有な軍事的天才だと思います。
統率力と武力の総合点では中国最強のような気がします、多分。
Posted by ただの中国史好き at 2011年09月10日 21:51
項羽・楊大眼・尉遅敬、甲乙付け難い豪勇の将ですが、三者三様それぞれに特徴が少しずつ違っているようです。以下、そのこじつけ

・項羽 この人の強さの秘密は超人的な気力の凄まじさで相手の将や兵士を圧倒し、委縮させてしまうところにあると思います。鴻溝かどこかで断崖を挟んで劉邦の護衛官を睨みつけただけで心身喪失に追い込んだ、なんてエピソードがありませんでしたっけ?自身の圧倒的な「気」を自軍の兵士に乗り写し、実力以上の力を発揮させる一種の「カリスマ性」は3人のなかでダントツの1番だと思います。

・楊大眼 3人のなかでは最も戦術眼に優れていると思います。「カリスマ性」は3人中2番目か?

・尉遅敬徳 3人のなかで最も腕力が強く、得物を扱う技量に長けている?

身体能力で・・・・・・・・尉遅敬徳>楊大眼>項羽
気力で・・・・・・・・・・・項羽>尉遅敬徳>楊大眼
得物を扱う技量で・・・尉遅敬徳>楊大眼>項羽
カリスマ性で・・・・・・・項羽>楊大眼>尉遅敬徳
戦術眼で・・・・・・・・・楊大眼>項羽>尉遅敬徳

従って、

一騎打ちなら・・・・・・・・尉遅敬徳>項羽>楊大眼
一万の精鋭を率いてなら・・項羽>楊大眼>尉遅敬徳

 というのが私の予想です。
Posted by 李常傑 at 2011年10月02日 10:53
>李常傑さんへ

おぉ〜、流石ですね。
的確な評価だと思います。尉遅敬徳と李広という勝負も面白そう。
Posted by ただの中国史好き at 2011年10月03日 20:57
項籍は2mを越す大男で、身体能力が尉遅恭以下というはずはありません。

昔の戦いは概ね将軍クラスのものが自ら戦闘の先陣に立ち、己の強さを示して、兵の勇気を振るい立たせて戦いを勝利に導くものでしたが
君主クラスの総大将が先陣に立つのは、相当珍しいことですし、よほどの自信がない限りできません。
というか人類史史上、項籍とアレキサンダーとレオニダスぐらいしか例がないでしょう。レオニダスは戦場に散り、アレキサンダーは若くして死んだ(毒殺か傷による感染症か)が、項籍は自決するまで10数年に渡って戦場の前線に立ち続けました。

史記の項籍の最期の一連の戦いの記載が真実だとすれば、中国どころか世界中個の武力のおいて誰も彼に及びません。
詳細な戦績の記述のない尉遅恭が彼に匹敵するとは思えませんね。
気力なるものを言われたが、正しくいうならば気迫でしょうか。たしかに2mも越す完全武装の戦士が目をいかせながら、目の前で味方をバタバタとなぎ倒していたら普通の兵なら失禁するか、逃げ出すだろうし、それにより項籍の兵士も勇気が沸くでしょう。 しかしながら、それは前述通り昔の武力が売りの将軍は概ねそうでした。特に項籍の専売特許でありません。彼の軍が百戦百勝で強かったのは、彼が当時にあって、特に強く、並ぶものがいなかったからです。彼が強くなかったら、その気力とやらはなんの意味も持ちません。下手したら討たれて、部隊が壊滅です。
さらにいえば気迫とカリスマ性を同じものとして結びつけるのは無理があります。
カリスマ性というのは人心を惹きつける才能のことです。
それが、戦闘において兵士に影響を与えることはありません。言葉の意味の理解を誤っています。



彼の欠点はまさに自身が強すぎるがゆえに、他人の意見を無視し、己に頼りすぎたからです。
人なりは非常に単純にして、優しかったが、部下を疑うことはなくとも、頼ろうともしなかった。(特に秦を滅ぼし、西楚の覇王と自称し、中華第一勢力ないしは中華第一の男と自覚しはじめた頃から)
だから彼が義父とまで敬愛した范増も、ついには彼の元を去ったのですし、それほど親しいものが離れるのに、黥布などの新参将軍らの心は彼の元を離れないわけがありません。

部下から慕われ、忠誠を誓われる人間は謙遜で、器が大きく、よく部下の意見を組み大事にし、罰則に公明正大な人間です。
優れた君主の中には魏の太祖や唐の太祖のような将軍としても優れたものもいるが、漢の高祖や蜀の劉備のような将としては能力不足なものもいます。
話は逸れましたが、要するに、君主にもとめられるのは能力云々より、性格云々ですね。

長文失礼しました。
Posted by 車騎将軍 at 2012年08月07日 11:32
史実の記述のみで判断すれば
武力のみなら
第一に項籍
第二に呂布
第三に張遼
でしょうね


尉遅恭などは詳細な記述がなく、ただただ傷が一つもなかったなど評価(というかうわさのようなものだ)だけが一人歩きしていますし、捜神記などは無論論外ですし。
史記の項籍の垓下の戦いの記述や後漢書の呂布と張燕との戦いの記述や三国志魏書の張遼の合肥の戦いのように戦いの規模、経過、成果が詳細に記されているのとは違うだろう。
垓下と合肥はご存知の通りで、あえて言うまでもないですが、三国志演義ばかり目立つ呂布の後漢書での活躍ぶりは意外と知られていない。後漢書の呂布伝では呂布が袁紹に身を寄せていたごろ、呂布と張燕の戦いについてこう言っています。

『燕精兵萬餘,騎數千匹.布常御良馬,號曰赤菟,能馳城飛塹,與其健將成廉、魏越等數十騎馳突燕陣,一日或至三四,皆斬首而出.連戰十餘日,遂破燕軍.〔後漢書・呂布伝〕』
つまり、
「張燕に精兵1万あまりあり、騎兵数千ありました。呂布は常に良い馬に乗っており、その名は赤兎と言った、それは城を駆けることができ、塹壕を飛び越えることができた、その健将成廉、魏越ら数十騎と共に張燕の陣営に突入し、一日に三回または四回、皆首の取って出てきた。連戦すること10日あまり、ついに張燕を撃破した。」
ということなので、にわかに信じられない活躍ぶりですが、後漢書という史書に書いてある限り真実として受け止めるしかありません。彼自身はもちろんのこと、彼の部隊も強かった。先述のように、呂布も項籍と同じく自身がつよく無ければ、彼の部隊が強いわけがなく、このような強引な戦術(戦術もなにもなくただのごり押しだが)が成功するわけもない。
このような史書に記された詳細にわたる武勇伝を敬徳は持っていない。しかるに彼の実際武力には疑問が残る。
Posted by 車騎将軍 at 2012年08月07日 22:45
>>車騎将軍様

遅くなりましたが、恐ろしいのはその後黒山賊がその戦いによって百万から十余万もの数に激減してる事ですよね(つまり黒山賊がほぼ壊滅している)。これをたった一戦でやってしまう呂布の恐さは凄まじいものが有ります。個人的武勇なら核兵器級の強さでは無いでしょうか(誇張でも何でもなく)
Posted by 呂布好き at 2012年12月19日 21:14
>車騎将軍さん

>カリスマ性というのは人の心を惹きつける才能のことです。それが、戦闘において兵士に影響を与えることはありません。

いや、普通に考えても大有りでしょう?カリスマ性の高い将の率いる部隊の兵士の方が士気が高く、攻撃における激しさや鋭さ、防御における粘り強さは段違いだと思いますが?
その点だけは反論させtいただきます。

武将の個人的能力については当ブログは完全主観をうたっているので正史の記述のみに完全準拠すべき、と言う主義・主張も有りだと思いますが、ちょっと堅苦しすぎませんかね・・・

Posted by 李常傑 at 2013年01月20日 13:53
呂布について

呂布の出身地は并州五原郡(現:内蒙古自治区 包頭付近?)で後漢王朝の辺境中の辺境で、このあたりは胡漢雑居の地なので北方三国志での設定にある匈奴と漢族の混血というのがしっくりくる、というかその方が自然な気がします。
彼の配下の部将や兵士も丁原時代の并州か董卓時代の涼州の出身者がほとんどだったとすれば、(涼州も胡漢雑居の地)董卓殺害後、傭兵部隊として各地を彷徨った彼ら一行は極めて非漢族的性格のつよい、もっと言えば匈奴と鮮卑を主体とした(漢族との通婚により漢化した匈奴・鮮卑。本人たちの意識は漢人だが実態は匈奴・鮮卑により近い)集団だったのではないかと思われます。
そう考えれば、傭兵として袁紹や劉備に雇われたのは西晋の八王の乱の際に各地の軍閥に雇われた匈奴や鮮卑の各部族の先駆け的存在とも言えるし、呂布の短絡的で欲望肯定主義とも言える行動様式は漢族の儒教的思考から逸脱した五胡十六国時代の胡族系暴君のヒナ型とも言えるのでは・・・と、呂布の個人的武力でなく歴史的存在意義について思った次第。
だからなんだと言われると・・・
Posted by 李常傑 at 2013年01月20日 15:25
>>車騎将軍

資治通鑑曰く、呂布は400の騎兵だけで十人の将と数万の袁術軍を殆ど皆殺しにしたそうですが、これは項羽とどちらが上でしょうね?
Posted by 呂布好き at 2013年04月14日 17:25
様をつけ忘れました。まことに申し訳無い
Posted by 呂布好き at 2013年04月14日 17:32
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