2008年01月02日

王翦

王翦 能力データ
魅力 7 / 統率力 9 / 戦闘力 5 / 政治力 4 / 知力 8

王翦は、子の王貴とともに秦王政(後の始皇帝)に仕えた名将で、趙、燕、楚、江南を次々に滅ぼし、秦の天下統一に大きく貢献した。秦最強の武将が誰かと言われれば白起だが、秦最高の武将と聞かれればこの王翦になるであろう。
その平定地を見てみると、趙や燕は北方、楚や江南は南方の国であり、気候や地形、風土が違う地において勝利をあげた王翦の戦術が如何に優れていたかが判る。

楚征服戦を前に、秦王政が王翦に問うた。楚を征服するには如何程の兵が必要かと。王翦は答える。「60万は必要だ」と。秦の全兵力に近いこの答えに対し、多過ぎるのではと感じた秦王政は若い将軍、李信に同じ事を問う。李信は「20万で十分だ」と答え、これを良しとした秦王政は李信を楚征服戦の総大将に任じたが、大敗北。戦勝の勢いに乗じた楚は秦に攻め入る構えを見せた。

驚いた秦王政は、慌てて引退した王翦の自宅まで赴いて詫び、出馬を願った。王翦は60万の兵力を与えられると、秦の全軍に近い兵力を有する自分が謀反などで疑われぬ様、戦地まで向かう道中に何度も秦王政へ戦勝時の恩賞の確認の伝令を飛ばし、秦王政を安心させて楚と対峙。堅固な砦を築いて楚の挑発を相手にせず気勢を削ぎ、自軍の英気が満ち溢れるのを待ち、楚の退却を見るや一気に背後から攻めて楚軍を殲滅、総大将の項燕を討ち取った。
これにより楚軍は総崩れとなり、各城は次々に陥落。王都は落城し、楚王負雛も捕らえられて斬られ、楚は滅亡したのである。

戦術、戦略の実力といい、秦王政の性格を見抜いた対応といい、武のみならず知にも優れた名将である事は間違いない。
posted by ただの中国史好き at 23:14 | Comment(2) | 戦国時代
この記事へのコメント
秦王政の性格を100%読み切った上での欲ボケ演技だった事が万が一バレたら、自分だけでなく三族誅滅の危機でしたから、ひょっとすると王翦は「戦に勝って楚を滅ぼすよりも秦王をダマし続ける事のほうが遥かに難しい・・・」なんて思いながら咸陽を出立していたりして・・・
実際、このエピソードが後世に伝わっている事を思えば、側近から密告される可能性だって有ったかもしれませんからね。ああいう性格の人に仕えるのは、気が休まる時もなかったんだろうなあ。
Posted by 李常傑 at 2011年09月11日 17:02
>李常傑さんへ

逆に始皇帝も芝居を見抜きながら、ここまでしてくるなら大丈夫と判断し安心したのかもしれませんね。
Posted by ただの中国史好き at 2011年09月12日 20:42
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