2007年12月09日

李牧

李牧 能力データ
魅力 7 / 統率力 9 / 戦闘力 8 / 政治力 4 / 知力 7

李牧は、戦国時代末期の趙の武将。
趙は山西省一帯に位置する事から、絶えず北方の遊牧民族である匈奴の侵攻に悩まされていた。李牧はこの匈奴戦において、塹壕を掘り、土塁を築いて柵を立て、匈奴の機動力を削いで持久戦に持ち込むという戦法を確立。やる方無い匈奴が退散する際にこれを背後から襲って大打撃を与えた。
こうして匈奴と戦いながらも軍事力増強を図り、東胡と林胡をも撃破し、趙の北方戦線を安定。中国の軍事史上で特筆すべき功績を残し、名声も高い名将である。
李牧時代に北方民族対策として築かれた長城は、やがて秦の始皇帝により万里の長城として完成し、より壮大なスケールとなるが、根本の建立目的は李牧の防衛術が基本となっている。

李牧は更に天下統一に向けて大軍で侵攻して来た秦軍を二度に渡り打ち破るが、秦の放ったスパイによる流言飛語で趙王の疑念を買い、捕縛されて殺された。
この愚挙により、趙の滅亡と秦の天下統一への流れは加速し始める。
posted by ただの中国史好き at 02:21 | Comment(2) | 戦国時代
この記事へのコメント
名将が名将であるが故に主君の猜疑心を呼び起こし、誅殺されてしまう、というのは本当にやるせない思いになりますね・・・
李牧の時代には秦と趙の国力差は恐らく10倍近く開いていたのではないかと思われます。その状況で2度も秦軍を大破したのですから、魅力+1、政治力+2、知力+1(本当は統率力も+1、と言いたいところですが・・・あまり満点評価の人が増えてもねぇ・・・)を希望します。
Posted by 李常傑 at 2011年11月15日 23:49
>李常傑さんへ

中国史に限らず、世界史でも随所に見られますよね。
政治力を+2の4とし、知力を+1の7とします。
Posted by ただの中国史好き at 2011年11月20日 00:01
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