2007年07月15日

劉永福

劉永福 能力データ
魅力 7 / 統率力 9 / 戦闘力 7 / 政治力 2 / 知力 6

劉永福は、貧農の家に生をうけ、両親と共に流浪・放浪生活を送るが、父に教わった武芸をもって両親の死後21歳の時に太平天国(天地会)へ身を投じる。

太平天国の乱終了後、劉永福は逃亡生活を送ってやがてベトナムに渡って傭兵生活を過ごした後、独立して黒旗軍を組織。その黒旗軍を率いて時にベトナム朝と協力して侵略して来た圧倒的な戦力をもつフランス軍を白兵戦の末に撃破。総司令官ガルニエ将軍を戦死させる。その10年後、フランス軍は再び大挙してベトナムに侵攻。だがまたしても劉永福によって全滅させられ、司令官リヴィニール将軍が戦死。
この活躍に当時の日本も諸葛亮楠木正成を合わせた戦術の天才と誉め称え、劉永福はアジアの英雄となる。その後、劉永福は台湾防衛司令官となって日本軍と戦うが、清朝の命によりやむなく撤退。暫くして息をひきとった。
posted by ただの中国史好き at 14:06 | Comment(2) | 清時代
この記事へのコメント
火器を標準装備した近代的軍隊に貧弱な火器と旧態依然たる兵装で(あくまでも私の想像で、実際の黒旗軍の装備がどの様なものか知りません)ゲリラ戦を執拗に続け、ついにはフランス軍を2度にわたって全滅させたなんて、軍事史上の奇跡とさえ呼びたくなってしまいます。
当時の日本で「諸葛亮と楠正成を合わせた戦術の天才と誉め称え」たとありますが、正にそんなイメージですね。
これも私の勝手な想像に過ぎないのですが、ベトナム戦争に際して北ベトナムの軍首脳はゲリラ戦のお手本として劉永福率いる黒旗軍の戦い方を詳細に研究したんじゃないか、と思いました。
Posted by 李常傑 at 2011年10月16日 12:10
>李常傑さんへ

まさに時代が生んだ天才ですよね。
私もベトナム戦争におけるベトナム軍のゲリラ戦は劉永福の影響を少なからず手本にしているような気がします。この時、既にベトナムには白兵戦・ゲリラ戦の伝統があったのかもしれませんが。
ベトナムと泥沼のゲリラ戦をやってしまうと、地理的な要素もあるでしょうが勝利するのは難しいかも。
Posted by ただの中国史好き at 2011年10月16日 23:45
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