2007年03月07日

范蠡

范蠡 能力データ
魅力 8 / 統率力 8 / 戦闘力 4 / 政治力 8 / 知力 9

范蠡は越の句践に仕えた名参謀。
当時江南地方を呉と二分していた越は、強国呉の存在が故に中原への進出が出来ないでいた。
呉との決戦で敗北した越は句践が捕虜となり滅亡一歩手前までいくが、范蠡は身を変え句践の元に行って励まし、呉王夫差には美女西施を仕わして籠絡し、呉が中原への覇を目指して軍を発したところを急襲。瞬く間に呉都に壊滅的打撃を与える。これに激怒しとって返した呉軍と再び決戦となるが、伍子胥亡き呉軍は取るに足らぬとばかりに見事打ち破って夫差を捕らえ自殺に追い込み、句践を覇者とした。

范蠡のその鬼才たるや軍事のみに止まらず、句践が覇者となってからは臣下を辞して名を変え、商業で成攻。莫大な財産を築いてその名、陶朱公は大金持ちの代名詞となった程。
posted by ただの中国史好き at 15:40 | Comment(6) | 春秋時代
この記事へのコメント
こんにちは。
范蠡は日本でも名臣として有名ですよね。
でも軍師として活躍し、引退後は巨万の富を築いたことは有名ですが、バカ息子には最後まで苦労したとか。
もしかしたら仕事にかまけて息子の教育をおざなりにしていたのかもしれませんね。何もかも思い通りというのは難しいといういい教訓かもしれません
Posted by 豫譲 at 2008年10月19日 17:39
名皇帝・名帝王・名臣・名将の息子がどうしようもない馬鹿者だったなんて話がよくありますが、やはり遺伝子だけではどうにもならない要素(環境?)も多大にその人間の成長過程において影響を与えるのでしょうね。

おっしゃる通り、いい教訓になります。
Posted by ただの中国史好き at 2008年10月25日 12:57
一国の宰相として政治・行政に携わっていた人物ならば、范蠡のように歴史的に有名な智者でなくとも商業によって巨万の蓄財を果たす事は可能だったのでは?と思いますが、古来より商を卑しみ農を重視する中国では士大夫がその地位を捨てて商賈に身を落とす(?)事自体が驚異的な事だったのではないか、と思います。

国家の枠組みを離れ、フリーになった状態の方が「足るを(より高値で)売り、足らざるを(より安値で)買う」といった地域ごとのモノの価格差を的確に捉えた中継貿易による利益を上げやすかったのでしょうね。

范蠡のような大商人の成功を生んだのが、当時紀元前6〜500年頃すでに中国国内では遠隔地商業が発達していた証しであり、同じ頃の日本ではようやく稲作がはじまったかどうか、という事を考えると、彼我の余りにも大きな格差に改めて茫然とする思いです・・・
Posted by 李常傑 at 2011年10月09日 16:25
>李常傑さんへ

おっしゃる通り、権力者である地位に拠らず巨万の蓄財を果たしてことが范蠡の能力の高さを物語っていますね。
しかし春秋戦国時代って面白いですよね。ずっと待てどもとうとうだしてきませんでしたが、KOEIには三国志の続編はもういいので、春樹戦国時代のシミュレーションゲームをだして欲しかったです。それなら今でもやってみたい(笑)。
Posted by ただの中国史好き at 2011年10月11日 00:28
私は断然五代十国時代のシミュレーションゲームを熱望していましたが・・・春秋戦国時代よりさらに商業ベースに乗らないでしょうね・・・
Posted by 李常傑 at 2011年10月11日 19:10
>李常傑さんへ

いえいえ、もう三國志は皆いいでしょう。五代十国時代もプレイ出来るとしたらワクワクします。
安易に続編ばかり作ったりアクションにはしらず、昔のシブサワコウの魂と志を今の制作現場の連中が引き継いで欲しいものです。
Posted by ただの中国史好き at 2011年10月15日 21:00
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