2006年10月22日

伍子胥

伍子胥 能力データ
魅力 6 / 統率力 7 / 戦闘力 6 / 政治力 6 / 知力 8

子胥は字で本名は伍員(ごうん)。母国楚の王である平王により父と兄を殺された伍子胥は、絶対の復讐を誓って追っ手から逃れ楚を脱出。生死を彷徨いながら遠路呉に着く。
ボロボロの身なりの伍子胥を迎えたのは、現呉王の従兄にあたる公子光。彼の参謀として献言出来る立場となった伍子胥は憎き楚への復讐心を抑える事が出来ず次々に楚への侵攻を公子光へ進言するが仲々採り上げられなかった。公子光はまず他国への侵攻よりも、本来自分が座るべき国王の座を如何にして奪取するかを考えていたからだ。
それを察した伍子胥は公子光に胆力が有り、剣の達人でもある専諸を薦めて隠遁する。やがて来るべきクーデターの際、呉王僚を守る幾重もの警備の中で専諸は王を刺殺。同時に自身も息絶えた。

こうした血生臭いクーデターの後に即位した公子光改め呉王闔閭は隠遁していた伍子胥を呼び寄せ、瞬く間に楚を攻めて楚都を攻略。伍子胥は既に死んでいた平王の墓を暴いて、鬼気迫る形相で死体がバラバラになるまで鞭打った。
呉王闔閭を覇者へと導いた伍子胥だが、隣国越の決戦によって呉王闔閭が戦死すると子の夫差を先導して後年見事復讐戦で越を下すが、夫差の甘さによって越王勾践を見逃すと、夫差との間に埋まり難い溝が出来る。やがて夫差の疑心暗鬼により自害を命じられ、悲惨な運命によって身に沁みた壮烈な気性で生涯を駆け抜けた伍子胥は悲し過ぎる最期を迎える。
伍子胥の死を越は喜び、呉を攻め滅ぼした事は言うまでもない。

以後、怨霊神として信仰の対象となっている。
posted by ただの中国史好き at 23:10 | Comment(4) | 春秋時代
この記事へのコメント
はじめまして、玄鳳(げんほう)と申します。
私は三国志から入って、中国古代史に興味を持ちました。

呉越の戦いは本当に血なまぐさいですね。
文章を読んでいるだけで、
彼らの強い想い、執念のようなものが頭の中に絡まりつく感じさえします。
と同時に、非常にダイナミックで興味深い部分でもありますね。

また参ります。よろしくお願いします。
Posted by 玄鳳 at 2006年10月31日 01:56
玄鳳さん、初めまして。
私も三国志から入り、そこから他の時代へと興味を拡げていきました。

私は伍子胥が結構好きです。
その激しい気性が故の結局報われぬ人生に何か人間らしさを感じたりします。

私も玄鳳さんのHPにちょくちょくお邪魔させていただきます。
今後ともよろしくお願いします。
Posted by ただの中国史好き at 2006年11月01日 22:58
伍子胥自身が劇薬みたいな人ですね。使い方を誤るととんでもない事になるという・・・使う側しだいという事でしょうか。平穏な時代には生きていくのが難しいタイプに思えます・・・
Posted by 李常傑 at 2011年09月10日 22:18
>李常傑さんへ

激情の人ですね。
確か楚などでは怨念の神として後世恐れられたんですよね。司馬遷の評価も高いですし、その類い希なる実行力は評価に値すると思います。
Posted by ただの中国史好き at 2011年09月11日 23:33
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