魅力 7 / 統率力 7 / 戦闘力 9 / 政治力 2 / 知力 4
ジェベはモンゴル帝国の初代皇帝(大ハーン)であるチンギス・ハーンの家臣で四狗(スブタイ、ジェルメ、クビライ、ジェベ)の一人。1206年のチンギス・ハーン即位時の功臣表では第47位に数えられる。
ベスト部の出身ではじめタイチウト部に属する隷属民だったが、1201年にタイチウト部がチンギス・ハーンと敵対した為にこれと戦い、チンギス・ハーンの乗馬を矢で射殺するという活躍を見せるものの敗北して投降。チンギス・ハーンは彼の武勇を賞賛して「矢」(もしくは戦馬)を意味するジェベの名を授け家臣に迎える。その後は万人長に昇進、チンギス・ハーンの先鋒を常に務め、金王朝やナイマン部、西遼攻略などで常に戦功を挙げ、大西征においても従軍。ホラズム朝討滅戦ではムハンマドを追撃して憤死せしめ、更に東欧の一部にまで進撃してカルカ河畔の戦いにおいてルーシ連合軍を破る戦功を挙げた。
チンギス・ハーンと敵対したことがあった為に警戒され、ジェベと常に行動を共にした四狗の一人スブタイはチンギス・ハーンの命令でジェベの監視役も含んでいたといわれる。ジェベは軍律に厳しい一面があり、部下が戦利品を私物化したのを知るとそれを没収して処罰、またチンギス・ハーンの帰還命令に対してスブタイが開戦を強硬に主張した時もスブタイを説得してチンギス・ハーンの命令にあくまでも従ったという。西遼征服後にかつて射殺したチンギス・ハーンの乗馬の特徴を備えた馬を大量に献じたりしたが、1225年にモンゴルに帰還途中で病を発し、死去。チンギス・ハーンはその死を深く惜しんだという。