魅力 5 / 統率力 6 / 戦闘力 7 / 政治力 4 / 知力 5
チャガタイはチンギス・ハーンの次男でジュチの弟、オゴデイとトゥルイの兄にあたる。
長兄ジュチとは、ジュチの出生の疑惑などをめぐって険悪な仲であり、またチャガタイ自身が激しい気性と一本気な性格の持ち主であった為に一族の和を重んじる父チンギス・ハーンから後継者候補より除外されていた。しかし、法に対して厳格な一面があった為、それを父に見込まれてモンゴル帝国の法律・ヤサの管理を任され「ヤサの番人」の異名をとった。
チャガタイは父に従って金討伐や大西征に従軍し、オトラル攻略等で戦功を挙げたことから西遼の旧領を与えられ、後のチャガタイ・ハン国の祖となった。そしてこの地を治める為にモンゴル帝国の法律であるヤサの遵守を強制したが、モンゴルの風習とこの地の風習は相反するものが多く、ヤサを強制された民衆はチャガタイを大いに恨んだという。
弟オゴデイとは仲が良く、父の死後はその遺言に従ってオゴデイの即位を支持。このことから第2代ハーンとなったオゴデイも兄であるチャガタイを大いに尊重し、政策決定の場においては常に相談相手する。1242年、前年に没したオゴデイの後を追うように没した。
チャガタイの長男はイェスルン・ハトゥンから生まれたモエトゥケンで、チャガタイ・ウルスの宗家は彼の家系に始まる。次男はモチ・イェベ。三男はモエトゥケン戦死後に一旦後継者に選ばれたものの夭折したベルガシ。四男はサルバン。五男がチャガタイ・ウルス第3代当主になったイェス・モンケ。そして六男は第5代当主アルグの父で大元ウルスのチュベイ王家の父祖ともなったバイダルである。
こう列挙すると、遺伝なのか四兄弟の中で最も子の才能には恵まれなかったと言える。
後継者が能力に恵まれていないのは元々父親であるチャガタイ本人の能力がオゴタイ・ジュチに比べ相当低いのでまずは順当なのかも・・・
まさにおっしゃる通り。
実際は無敵のモンゴル軍団にあっての戦果であって、チャガタイ自身の能力はもう少し下げてもいいのかとすら考えました(笑)。