2011年12月30日

ジュチ

ジュチ 能力データ
魅力 7 / 統率力 8 / 戦闘力 8 / 政治力 3 / 知力 5

ジュチはチンギス・ハーンの第一夫人ボルテを母とする嫡出の長男で、同母弟にチャガタイオゴデイトゥルイの3人がいる。若い頃から父に従いモンゴル高原の統一に至る戦いに参加、特に西方の強国ナイマンとの戦いで活躍した。
チンギス・ハーンが金への遠征を開始した時には、同じく帝国の西部にウルスを持つ二人の弟チャガタイ、オゴデイと共に全体の右翼軍(西部軍)を率いる将領として参加、山西地方を席捲して諸城を陥落させる。1219年から始まる西方遠征でも右翼の指揮官として中央アジア北部を進み、戦役の発端となった町オトラルを攻略した後、スィル川沿いに下ってスィグナク、ジャンド、ヤンギカントを征服。スィグナクではジュチが攻撃に先立って降伏を要求する為に送った使者を住民が惨殺した為、モンゴル軍は攻略後に町を徹底的に破壊、住民を皆殺しにした。
その後、中央アジアの中枢トランスオクシアナからアム川沿いに下ってホラズム朝の本拠地ホラズムの主邑ウルゲンチを攻撃したが、彼は共に攻撃を担当したすぐ下の弟チャガタイと不和だったために攻略に手間取ることがあった。この為に兄弟は父チンギス・ハーンの不興を買ったが、二人の兄いずれとも仲の良い弟のオゴデイが兄の間にたって指揮をとり、事なきを得た。
ジュチの攻城は相手が降伏するのを待つという戦法を取ることが多く、進軍速度を緩めてしまったという評価が強い。その為、従来通りの戦法を取るチャガタイとは元々の不和もあいまって、ウルゲンチのような事態を引き起こしたと見られる。実際にウルゲンチにおいても彼は、降伏交渉を行っている。
チンギス・ハーンはこの頃、4人の嫡子の内から後継者を選び、温和な三男のオゴデイが後継者に指名された。この時、チンギス・ハーンは実際に諸子を集めて自分の後継者に誰がふさわしいか意見させたが、その場でジュチとチャガタイが口論となり、二人がお互いをハーンにふさわしくないと言い合ったので、次の弟で人望のあるオゴデイが立てられたという。

中央アジア遠征の後、ジュチは西方に広がったモンゴル帝国領のうち、4個千人隊と北部の良質な草原を遊牧地として与えられ、ジュチウルスは本領のイルティシュ川上流域からバルハシ湖の北からアラル海の方面に至る草原地帯(カザフ草原、現在のカザフスタン)に広がった。更にチンギス・ハーンによってアラル海の北からカスピ海の北に広がる草原地帯の諸族の征服を委ねられ、チンギス・ハーンがモンゴル高原に帰還した後もジュチはカザフ草原に残って北西方への拡大を担当することになった。
しかし、この間にジョチは病を発し、軍を進めることが出来なくなる。しかし、モンゴル高原にはジュチが狩猟に興じて軍事を疎かにし、謀反の兆し有りという噂が伝わっており、激怒したチンギス・ハーンはジュチに対して召還命令を下したが病のために帰還することが出来ず父に先立って病没してしまった。
一方、チンギス・ハーンはジュチが召還命令に従わないのでいよいよ討伐の軍を送ろうとまでしていたが、そこに病没の報が伝わり、大いに悲しみ落胆した。

出生についての疑惑が生涯暗い影を落としてしまったジュチだが、そもそもメルキトがチンギス・ハーンの母であるホエルンを略奪された復讐としてボルテを略奪し、ホエルンの元夫の弟にボルテを結婚させる。一方、逃げ延びた当時のテムジンはトオリル・ハーンとジャムカの助けを得てメルキトを討ち、ボルテを取り戻すが、その時ボルテは妊娠して出産間近であり、間も無くジュチが生まれる。
この為、ジュチはメルキトの子ではないかと疑われ、後にすぐ下の弟チャガタイは父の面前でジュチをメルキトの子と罵ったが、チンギス・ハーンはあくまでジュチを長男として扱った。
子にオルダ、バトゥ、ベルケなどがいる。
posted by ただの中国史好き at 22:54 | Comment(2) | 宋・遼・金時代
この記事へのコメント
時に損害をかえりみず強攻策をとり、殺戮の恐怖を最大限アピールして電光石火のごとく一気呵成に征服事業を進めていった方がよいのか、征服後の内政と軍事的補給の面から敵・味方ともに損害を最小限度に抑えて征服事業を進めていった方がよいのか、判断は分かれるところです。

当時のイケイケドンドンのモンゴル軍にあって慎重すぎる戦いぶりはジュチ自身の「出生の疑惑」とあいまって非難の対象にはなりやすかったのかもしれませんが、「疑惑」さえなければチンギス・ハンの後継者としてふさわしい名将・名君たりえたのでは、と思います。
Posted by 李常傑 at 2012年01月04日 09:57
>李常傑さんへ

そうですね。トゥルイが最も素質があり、ジュチもオゴデイと同等以上の素質があったのではと思います。
しかし、チンギス・ハーンの母もメルキト族ですし、仮にジュチがメルキト族の血を引くとしたら、メルキトの血も優秀なのかもと思ったりします。
Posted by ただの中国史好き at 2012年01月04日 23:03
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。