2006年07月08日

紂王

紂王 能力データ
魅力 2 / 統率力 7 / 戦闘力 8 / 政治力 3 / 知力 5

殷王朝最後の王、紂王。中国史全体を見渡しても屈指の暴君として名高い紂王だが、そもそもは雄弁で頭脳明晰、抜群の体力と腕力を持つ全く非の無い名君だった。
ところが、紂王は帝位に就いて絶世の美女妲姫を寵愛し始めると、税を重くして全国より金銭・穀物を集めて鹿台や離宮を造営し、珍奇な鳥獣を解き放った。更に池に酒を満たし、木々に食肉を掛けてそこで裸の男女を遊ばせ、夜を徹して酒宴を連夜続けた。「酒池肉林」の言葉の由縁はこの紂王の愚挙が元となっている。
更に、刑罰を重くして沢山の罪人を残虐な刑で殺したりした為、民の怨嗟の的となり、西方の雄、周の文王の息子武王に攻め込まれ、牧野の決戦で敗北。最後は鹿台から飛び降り、火中に消えた。
posted by ただの中国史好き at 13:46 | Comment(4) | 夏・殷時代
この記事へのコメント
中国史上最悪の暴君として名高い紂王ですが、
歴史は勝者により書かれるというように悪行の多くは周が殷を滅ぼした事を正当化するために誇張されたものという気がします。まあ、あまりにも昔の事なので本当の事は分かりかねますがw
Posted by 、 at 2007年07月03日 01:45
おっしゃる通りですね。
勝者が綴る敗者の歴史。それでも悪名高い元史ででも激しく抵抗した宋の最後についてちゃんと記載されている様に感じます。
正史、野史、伝承、それら全てを総合的に見聞きして判断して初めて総合的な像が浮かび上がってくる気がします。

殷はまだまだ伝説の雰囲気が濃いですけれど。
Posted by ただの中国史好き at 2007年07月07日 00:56
紂王は寧ろ結構良い王様だったかも知れません。

そもそも殷は古代王朝らしく祭祀に人間の生贄が必要な文化で、当初は金枝篇な王殺しをしていたという説もありますが少なくとも時代が下ってからは異民族を生贄用に狩ってきて、その生贄用民族に使われていた羌族がいい加減ぶちきれて反旗を翻したって言うのが殷滅亡のかなり大きな理由です。
(地理的要因から姫家の治めていた辺りは羌族とかなり交流があり、古公亶父の妻(=文王の祖母、武王の曾祖母)なんかも羌族だったとされます)


紂王は実際には何か異民族を征伐してその結果国勢はが盛んになったとか、祭祀を疎かにするどころか実は熱心に祭祀を執り行っていたとされ、つまり恐らくに殷人にとっては良い王であったんですが、勿論羌族にとっては堪ったもんじゃないので倒された&寧ろそれこそが紂王の悪事とされた(祭祀を熱心に執り行う→生贄大増量ですからね)…とされます。

(この辺、殷墟から出てきた甲骨文の解読結果)

生贄狩り→暴君→文王、武王が神聖化されたんで後世の人が更に悪事を付け加える ですね。


ちなみに逆に祭祀はやってたけど生贄を使うのを取り止めた為、殷の人からは反感を買ったとかいう話もあるんですが、今ざっくり調べたら(Wikiに書いてあるので)ネット上に流通している話ですがソースが小説十八史略しかないので調べてみないと全く分からないな…っていうか多分俺自身も小説十八史略で読んだんだと思うんですが当たってみたらちゃんとした研究結果から引いているかもしれませんが小説じゃ駄目な気しかしない。
(創作じゃない歴史研究系では熱心に祭祀をやっていたからこそ(ry 系が主流だと思います)

何となく書いてみましたがこの書き込みの内容を反映したらデータはこんな感じとかの考えは一切ない。
Posted by 通りすがり at 2011年10月05日 20:20
>通りすがりさんへ

歴史は征服した王朝側が書きますからね。
どうしても自分達を正当化せねばならないでしょうから、前王朝の君主などは何かと悪く書かれがちですよね。
それでもやはり倒されたんですから、それなりの減点要素があるか、なければ倒した側が凄いんだと思います。
Posted by ただの中国史好き at 2011年10月07日 23:21
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