2011年03月19日

程知節

程知節 能力データ
魅力 8 / 統率力 7 / 戦闘力 7 / 政治力 2 / 知力 4

程知節は李密に従い、李密は軍中の勇士八千を四驃騎に属させて自衛にあたらせて「内軍」と号していた。李密は「この八千は百万の兵に匹敵する」と常々自負し、程知節は驃騎の一つを領して李密の恩遇も特に厚かった。王世充と李密が戦った時、程知節は北邙にあって内騎営を受け持ち、単雄信は偃師にあって外騎営を受け持った。王世充が単雄信を襲撃すると、李密は程知節と裴行儼を派遣し単雄信を救援。裴行儼が流れ矢に当たって落馬すると、程知節はこれを救って馬上に抱えて馳せ戻った。李密が敗れると、王世充の性格を嫌って秦叔宝と共に唐に帰順、秦王府左三統軍に任ぜられた。宋金剛、竇建徳、王世充との戦いに従軍して先陣を担うなど功績を認められて宿国公に封ぜられる。

624年、李建成による讒言を受けて康州刺史に左遷されるが、「大王の側近が去っては、身の安全をはかろうとしてもできましょうか?知節は死んでも、去りませんぞ」と李世民に言って赴任しなかった。貞観初年の鉄山獠の乱を平定、657年には西突厥の沙鉢羅可汗を討ったが軍が帰還すると罪に連座して免職される。岐州刺史として再起用されたが、まもなく致仕した。
665年に懐徳里の邸で病死。驃騎大将軍・益州大都督の位を追贈され、昭陵に陪葬された。
唐の凌煙閣二十四功臣の一人。
posted by ただの中国史好き at 14:28 | Comment(0) | 唐時代
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