2011年03月19日

蘇定方

蘇定方 能力データ
魅力 6 / 統率力 8 / 戦闘力 8 / 政治力 2 / 知力 5

蘇定方は10歳で父に従い戦場に臨んだほど、幼少の頃より豪勇と胆力をうたわれた。
李靖に従って突厥討伐に従軍、李勣の高句麗遠征にも従う。高宗時代に入ると突厥討伐など西域の安定に尽力する一方で、660年には百済征討でも大功をあげ、その後も高句麗、吐蕃、吐谷渾討伐にも活躍するなど、唐の辺境安定に力を尽くした。
百済を亡ぼした時に「実は池から龍が飛び上がりましたので、捕まえようと思いましたが失敗しました」という報告書を送るなど、ホラ吹きな面があった。庶民的な人気では薛仁貴の方が圧倒的に高く、蘇定方は「薛仁貴伝」において悪役になっている。
posted by ただの中国史好き at 14:07 | Comment(6) | 唐時代
この記事へのコメント
百済平定での功績ばかりが取り上げられることが多いですが、
中央アジアを撃って西域をことごとく降した功績は、
高宗期のみならず、唐史上でも屈指でしょう。

特に騎兵指揮は素晴らしく、数万の敵軍を何度も壊滅させた破壊力、
速戦して敵の意表をつく機動力のいずれにおいても卓絶しています。
李靖を最高の騎兵指揮官という意見をしばしば見ますが、
騎兵の効果的な運用に関しては、蘇定方に一日の長があるように思います。

唐書を見るに謹厳実直な人物としか思われず、
ホラ吹きという評価がどこから来たのか理解できません。
用兵と人格のどちらも完成されていて、生涯で一度の落ち度もなく、
活躍のわりに後世の人の心をわかせる要素が全くないのが玉に瑕ですが、
それは彼の責任ではないでしょうね。
Posted by お菓子っ子 at 2011年09月14日 09:15
確かに、蘇定方と言えば百済平定の総大将としてのみ語られる事がほとんどでした。西域・中央アジア方面は一般概説書では高仙之がパミール越えやタラス河畔の戦いにからんで語られる事が多かったので・・・
私もお菓子っ子さんのコメントを見て初めて蘇定方が突厥遠征や中央アジア方面の平定に多大な功績を打ち立てた事を知り、ちょっとだけ調べてみました。
突厥遠征では李の部将として参加し、敵の死角を騎兵5百か千を率いて後方に回り込んで撃破、中央アジアでは総司令官として1万数千で3〜4倍の西突厥軍を破っています。
名将と呼ぶにふさわしい実績がある人なので、ぜひ統率力+4、武力+1、知力+2、魅力+3上げていただきたいと思います。

Posted by 李常傑 at 2011年09月17日 20:52
>お菓子っ子さんへ

ホラ吹き(ユーモア)という見方は人物評に記載した内容などから周囲よりあったようです。
Posted by ただの中国史好き at 2011年09月18日 23:23
>李常傑さんへ

お菓子っ子さんと李常傑さんのコメントを拝見し、魅力を+1の6に、統率力を+3の8に、武力を+1の8、知力を+2の5へ引き上げます。
うわぁ〜、元々の自分の能力設定は何だったんだ・・・。
Posted by ただの中国史好き at 2011年09月18日 23:30
百済遠征軍司令官としての蘇定方しか知らなければ元の評価で十分でしょう。ただの中国史好きさんも私同様、突厥遠征や中央アジアでの彼の活躍を知らなかったんでしょう?
知った上での評価だとすれば、「え?」ですけどね。
Posted by 李常傑 at 2011年09月19日 12:54
>李常傑さんへ

その通りです。
お菓子っ子が書かれている内容を知らずに設定していたのですが、あれを見れば上げて当然ですよね。
Posted by ただの中国史好き at 2011年09月25日 01:19
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