2011年03月16日

薛仁貴

薛仁貴 能力データ
魅力 7 / 統率力 6 / 戦闘力 9 / 政治力 2 / 知力 3

薛礼、字を仁貴というが字をもって通称とする薛仁貴のほうが有名。
農家に生まれたが武人を志して唐の遼東遠征に従軍し、白ずくめの服装で高句麗軍に斬り込んで敵を蹴散らすなどして活躍、功をあげた。その奮戦ぶりを喜んだ太宗李世民が遼東を得たことより卿を得たことを喜ぶと言い、右領軍中郎将に列せられた。
薛仁貴はその後、高宗時代にも活躍し、668年に安東都護府が設置されると初代都護となる。
九姓突厥の軍十余万が唐軍に迫った際は三矢を放って三人を射殺してみせ、九姓突厥の士気を沮喪させて唐軍に降伏せしめる。薛仁貴は後の患いとなることを憂慮して降兵をことごとく穴埋めにして殺害。唐の軍中では「将軍は三箭で天山を定め、壮士は長歌して漢関に入る」と歌われた。
だが670年には吐蕃に敗れて庶人に落とされ、その後も左遷されるなど不遇な時もあったが、681年に再び突厥を破り70歳で没する。後に息子と孫は民衆のヒーローとなり、唐王朝の守護神として後世まで語り継がれた。
posted by ただの中国史好き at 20:44 | Comment(1) | 唐時代
この記事へのコメント
よく概説書に「唐朝にとって最大の外敵は突厥ではなく吐蕃である」と書かれていますが、突厥を破り将としての円熟期にあったであろう薛仁貴を破った(しかも庶人に落とされたのだからかなり一方的な唐軍の敗北)点からも、当時7〜9世紀の吐蕃の精強ぶりが伺えますね。
どん底に叩き落とされた後、再び這い上がって最後にもう一度突厥を破って汚名返上が叶ったのは、本人にとって幸いでした。
魅力+1、統率力+1、知力+2を希望します。
Posted by 李常傑 at 2013年05月03日 17:44
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