2011年02月12日

尉遅敬徳

尉遅敬徳 能力データ
魅力 8 / 統率力 8 / 戦闘力 10 / 政治力 2 / 知力 4

尉遅恭、字を敬徳というが字をもって通称とする尉遅敬徳のほうが有名。
隋末の叛乱討伐で名をあげたが、群雄割拠になると劉武周の偏将となり唐と敵対した。620年に敗れて勢力が四散すると太宗李世民に降服し、右一府統一軍に任ぜられて王世充、竇建徳、劉黒闥ら群雄を討伐し全国平定に貢献。太宗に忠実で、王世充討伐の際にかつての劉武周時代の仲間が多く離反したが、信頼を寄せる太宗に応えて勇戦。度々太宗の危機を救い、特に皇太子李建成や弟の李元吉との皇位をめぐる争いの決着をすすめ、626年に玄武門の変が起こるや李元吉を射殺、太宗即位の道を開いた。621年と627年には突厥の侵入を撃退しつつも高句麗攻撃には反対。しかし征討戦には参加し、駐蹕山で高句麗軍を破っている。

同じ唐将で武において尉遅敬徳と双璧とされる秦叔宝は戦場での怪我が多かったが、尉遅敬徳は生涯戦場を往来し敵の重囲を突破すること幾度もあれどかすり傷一つ負わないまさに神勇(隋唐演義でもこう表現されている)と呼ぶべき強さを誇る。
生来の武人の為に文官の長孫無忌、房玄齢らとあわず、高句麗遠征から帰還した後は一切の地位を捨てて引退し、六年間神仙方士の道を修行した。武官としては最高の凌煙閣二十四功臣で第七位に描かれ、死後に司徒并州を賜った。
posted by ただの中国史好き at 15:22 | Comment(2) | 唐時代
この記事へのコメント
個人的には尉遅敬徳こそ中国史上最強の武勇の持ち主だと思っているんですが。
Posted by 李常傑 at 2011年07月25日 22:35
>李常傑さんへ

そうですね。
おそらく項羽か尉遅敬徳か、でしょうね。
楊大眼も仲々だと思いますが。
Posted by ただの中国史好き at 2011年07月31日 22:41
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