2006年05月28日

光武帝

光武帝 能力データ
魅力 9 / 統率力 8 / 戦闘力 6 / 政治力 8 / 知力 7

光武帝、名は劉秀。始祖劉邦が建国した漢は、王莽によって簒奪され一旦滅びる。
近所の陰麗華という美少女に恋する普通の少年だった劉秀も、動乱の中28歳で挙兵。共に挙兵した兄は味方の裏切りにより殺され、姉も敵兵に殺され、妹と二人で一頭の馬に乗り敵の包囲から脱出した事も有った。だが、劉秀に仕える光武帝28将(日本の徳川家康28将はこの模倣)の活躍も有って、天下を統一し、漢を再興。
中国史上、自力で天下を統一した皇帝は10人程だが、光武帝はその中でも一代で創業と守成を成し遂げた稀有な人物である。又、光武帝は「柔よく剛を制す」など名言も多く残している。
posted by ただの中国史好き at 20:49 | Comment(14) | 後漢時代
この記事へのコメント
この人の小説も読んでみたいです。塚本菁史氏の本がありましたがあまり・・・(失礼)陰麗華との十数年越しの恋話や昆陽の戦いの極めて劣勢な状況からの大逆転劇などエピソードも多数有るのですが、本人が育ちがよく温厚で石橋を叩いて渡る慎重かつ冷静な人柄で、ちょうど三国志演義の劉備みたいで面白みに欠けるきらいがありますね...曹操のような真逆の強烈なライバルキャラがいないといまひとつ盛り上がらないかも・・・田中芳樹さん、光武帝を絶賛しているんだから書いてくれないかな。
Posted by 李常傑 at 2011年08月14日 12:36
光武帝はどっちかというと大雑把で軽率な部類の人物ですよ。
深い考えなしに戦端を開いて苦戦ってのがわりとあります。
配下の将が侵攻軍でありながら、しばしば少をもって多を撃ったのも、
光武帝のミスのために不利な状況での戦いを強いられることが多かったからです。
戦略の失敗を軍事力で帳尻合わせたってかんじですね。
もう少し慎重さがあったら、数年早く天下は定まってたかもしれません。
Posted by お菓子っ子 at 2011年08月15日 01:51
>李常傑さんへ

光武帝の小説、面白いの無いですよね(失礼!)。
配下の武将はタレント揃いなんですが、まぁ光武帝自身は確かに劉備と若干かぶるかも・・・。
Posted by ただの中国史好き at 2011年08月15日 23:15
>お菓子っ子さんへ

なるほど、そういう見方も出来ますね。
この人自身がどこまで知力と統率力があったかは仲々判断難しいところです。。。
Posted by ただの中国史好き at 2011年08月15日 23:17
統率力の定義が軍を統率する能力なのか、
それとも将に将たる才なのかいまいち分かりかねるのですが、
軍を統率する才能なら、この時代では馮異や岑彭に次ぐでしょう。
武勇ならば、この時代に比肩する者はいません。
雲台二十八将中最強の馬武と賈復も、光武帝には及ばないでしょう。
自ら陣頭に立って、超人的な武勇で敵を退ける戦ぶりは、項羽を彷彿とさせます。
かなり苦しい戦いをしたにもかかわらず、敗走したのは生涯で二回だけという強さ。

戦略が甘いのは、武勇への絶対的自信ゆえであったように思われます。
Posted by お菓子っ子 at 2011年08月16日 01:05
>お菓子っ子さんへ

統率力については主に軍の統率で考慮していますが、配下や民衆などの統率についても加味します。
光武帝には物凄い強烈な宿敵がいなかった感があるのですが、それを差し引いても彼の能力が高祖に比して格段に高かった為、配下も私なんかは小粒に見えてしまいます。
武力は上げてもいいのかもしれないと考え中です。
Posted by ただの中国史好き at 2011年08月16日 14:04
軍の統率という点ならば、光武帝の軍は厳正な軍規で有名でした。
「軍規が整っている」という理由で、舂陵劉氏の傍系で正当性に欠ける光武帝を
支持することを決めた人物がけっこういます。
ただ、有力な将軍にしばしば背かれていますので、
臣下の統率はやや甘いかもしれません。

光武帝と高祖の臣下の優劣について、諸葛亮が「論考武」という文章で述べています。
それによると、高祖は過ちが多かったからそれを挽回した臣下の活躍が目立ったけど、
光武帝は過ちが少ないから臣下が目立たないだけで、
光武帝の名将たちは韓信・周勃に匹敵するし、謀臣も張良・陳平に劣らない力があるとの評価。
私もこれに賛成です。

光武帝の覇業が容易であるように見えるのは、敵が弱かったからではありません。
光武帝のミスをきっかけに河北に一大勢力を築いて、
何度も窮地に陥れた王郎、
戦は弱かったものの、外交が巧みで光武帝に匹敵する国力を誇った山東の強国劉永、
光武帝が親征しても降せなかった隴西の隗囂、
統一戦末期に反光武帝勢力の盟主として立ちはだかり、激闘を繰り広げた蜀の公孫述、
寡兵で呉漢を撃破して、岑彭の大軍相手にも優勢に戦った戦の天才ケ奉などの強敵がいます。
項羽のように戦では自軍より圧倒的に強いわけではありませんでしたが、
そのかわり項羽に欠けていた民衆の支持と外交力と兵站の利を有しており、容易ならざる相手です。
それにも関わらず十二年で天下が定まったのは、
光武帝だけでなく、配下の将の力量も大きいでしょう。

外交下手のせいで光武帝は常にいくつもの方面に敵を抱え、
兵力は常に不足気味でした。
皇帝即位後の光武帝はほとんど軍を率いることなく政治に専念し、
各地に配下の将を派遣して勝ち抜くことができたのです。
とくに呉漢、馮異、耿弇、岑彭の四人が指揮を取れば、
ほとんどの敵は平定できるほどです。
一国を平定できるような将軍は劉邦には韓信しかおらず、劉邦本人が前線で項羽と対峙してようやく二つの戦線を作れたのですが、
光武帝にはそういう将軍が四人もいました。
多方面に戦線を展開して、敵主力を拘束したり、
いくつもの方面から敵の領土に侵攻したりするのが容易にできるのは強みです。
外交の弱さを補ってあまりあります。

正面決戦で撃破できない項羽という相手に、
第二戦線の展開と外交という間接的なアプローチで挑んだ劉邦に対し、
光武帝は正面決戦で敵戦力を撃滅して、敵の利点である外交力と回復力を封じ込めるという直接的なアプローチで挑みました。

光武帝が中国史上屈指の傑物であるのは確かですが、
その分身として軍事や政治を委ねられる優れた臣下がいたからこそ、天下をとりえたのだと思います。
Posted by お菓子っ子 at 2011年08月17日 03:19
>お菓子っ子さんへ

鋭い分析ありがとうございます。
光武帝集団は総合力として、中国史上トップクラスの戦力だったのかもしれませんね。
対抗出来るとしたら、唐の大宗集団?
Posted by ただの中国史好き at 2011年08月19日 01:04
司令官が務まる将軍の人数は光武帝が上回るでしょうね。

司令官の下で戦う優秀な実戦指揮官の頭数は同じぐらいですが、
後世に武勇が語り継がれるような猛将は太宗陣営のほうが多く、
光武帝陣営は知勇のバランスがとれていてそつのない武将が多い印象です。

太宗陣営には杜如晦、房玄齢、魏徴を始めとして、個性の強いブレーンが大勢いますが、
光武帝陣営には、天下の計を授けたり、天下の政を取り仕切ったりするようなスケールの大きいブレーンはおらず、
宰相の伏湛、侯覇、宋弘などは単なる官僚に過ぎません。

総合すると、軍事面では有能な司令官が多い光武帝陣営が勝っていて。
政治面では卓越したブレーンが多い太宗陣営が勝ると思われます。
これは外交や謀略に弱く、軍事力で押し切った光武帝と、
軍事力、外交、謀略をバランスよく使い分けた高祖・太宗の覇業の性格に、如実に反映されています。

しかし、中国史上で最も文武共に充実した陣営は、
明の洪武帝の陣営ではないかと思っています。
Posted by お菓子っ子 at 2011年08月19日 01:47
>お菓子っ子さんへ

唐は李世民自身が名将でしたからね。

乞食同然の身分から皇帝にまで昇った明の朱元璋には、それこそ強烈なタレントが揃ってなければなりませんよね。徐達、常遇春、劉基、李善長など。
Posted by ただの中国史好き at 2011年08月20日 16:19
唐の天下統一で最大の軍功がある将軍は李世民ですしね。
その名声と軍における影響力を李建成が恐れたことが、
玄武門の変の発端ですし。

自らも名将でありながら、即位後は政治に専念するためになかなか前線に出れなかった光武帝や洪武帝とは異なり、
李世民は本拠で父と兄が政治を執っているおかげで、前線で思う存分活躍できたというのもあります。
蕭何や荀ケのように全幅の信頼を置いて政治を委ねられる片腕がいなければ、
君主自身が本拠を空けて戦うなんて危険極まりないですからね。
李世民が高祖李淵の立場ならば、あまり前線に出れなかったと思います。

朱元璋は天下取りに必要な人材をすべて揃えた稀有な君主ですね。
その臣下は誰に仕えても、主に天下を伺わしめる力量のある一代の傑物ばかりです。
Posted by お菓子っ子 at 2011年08月20日 21:47
>お菓子っ子さんへ

やはり長寿政権を打ち立てた創始者たる英雄やその配下達は面白い人材揃いです。
勿論、長寿たる為には後継者やその配下も優秀でなければならないのですが。

でも、個人的には洪武帝はあまり好きではありません・・・。
Posted by ただの中国史好き at 2011年08月21日 00:19
私も人間的には洪武帝は大嫌いですよ。
高すぎる理想と異常な劣等感と妄想じみた猜疑心を併せもった最悪の人格です。
絶対に関わり合いになりたくない人種です。
しかし、あの苛烈な個性が生み出すエネルギーがなければ、
明は長期政権足り得なかったとも思うのです。

天下を統一するほどの人物なら、温厚寛容と評されていても、
その内にはおそろしい苛烈さを隠しているものです。
それが戦場においてはどんな大軍をも打ち破る勇猛さとなり、
政治の場においては正しいけれど常人には成しえない冷徹な決断につながります。

強烈な個性から発散される強大なエネルギーによって、大陸の歴史を塗り替える圧倒的な巨人。
それが私の考える「英雄の器」ですね。
これがなければどんなに才能があろうと、大事は成し得ません。

つまり、洪武帝はこの上ない「英雄の器」であったということです。
Posted by お菓子っ子 at 2011年08月21日 05:15
>お菓子っ子さんへ

まさにその通りだと思います。
明の時代の人物は未だ全然採り上げれていませんが、徐々に増やしていきたいです。
Posted by ただの中国史好き at 2011年08月22日 00:30
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