2011年01月04日

李徴

李徴 能力データ
魅力 2 / 統率力 2 / 戦闘力 2 / 政治力 3 / 知力 5

唐の玄宗の時代、かつての郷里の秀才だった隴西の李徴は片意地で自負心が強く、役人の身分に満足しきれなかった。彼は官職を辞し、詩人として名を成そうとするも上手くゆかず遂に挫折。小役人となってかつて自身が見下げていた同期達よりも下役にて屈辱的な生活を強いられ、地方へ出張した際に発狂。そのまま山へ消えて行方知れずとなった。
翌年、彼の数少ない旧友で高位の役人であった袁傪は旅の途中で虎となった李徴と再会する。李徴は茂みに姿を隠したままいきさつを語る。「昨年、何者かの声に惹かれ、わけがわからぬまま山中に走り込み、気が付いたら虎になっていた。人間の意識に戻る時もあるが、次第に本当の虎として人や獣を襲い、食らう時間の方が長くなっている。そこで君に頼みがある。まだ自分が記憶している数十の詩編を書き記して残してくれないか」。袁傪は素直に受け入れ、明るい月光の下で李徴の朗ずる詩を部下に書き取らせた。李徴は更に語る。何故虎になったのか?自分は他人との交流を避けた。皆はそれを傲慢だと言ったが、実は臆病な自尊心と尊大な羞恥心の為せる業だった。本当は詩才がないかもしれないのを自ら認めるのを恐れ、そうかと言って苦労して才を磨くのも嫌がった。それが心中の虎であり、遂に本当に虎になったのだ。
夜は明けかけていた。別れを惜しむ袁傪に李徴は残された自分の妻子の援助を依頼し、朝明けの空ですっかり光を失った月の下に1頭の猛虎として姿を現わして咆哮とともに姿を消し、再びその姿を見せる事はなかった。

原作と比較すると、李徴の虎への変身の理由が大きく変えられているのが特徴。原作では李徴は寡との逢瀬を妨げられたのが原因でその一家を焼き殺した報いで変身したのに対し、「山月記」では「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」という性情が原因だと書かれ、より深みのある内容になっている。
高等学校の現代文の教科書の人気教材で、野村萬斎によって演劇化もされている。
posted by ただの中国史好き at 21:05 | Comment(2) | 唐時代
この記事へのコメント
中島敦『山月記』は、私が中国史にのめりこむきっかけの一つでした。
私のサイトでも、最近は落語とか中国歴史以外のことが中心になっていますが、タイトルが「中国歴史あら?カルト!」なんで、こちらのサイトを読んで、初心に戻ろうかな、なんて思いました。
私も中国史上一番の美女は?とか一番のおバカ皇帝は?なんてことを考察する「十八史略ギネスブック」というコーナーをやってますが、こちらのトップ画面のパラメーター表示なんかも参考になりそうです。

個人ごとに気軽に読めるのがいいですね。
Posted by 石野陽虎 at 2011年02月06日 09:04
>石野陽虎

初めまして、コメントありがとうございます。
「山月記」は存在を知っていながらずっと敬遠していました(特に理由は無いですけど)。
それでもやはりamazonなどで評価が高いと気になり、購入して読んだ次第です^^

サイト楽しく拝見させていただきましたが、凄く内容濃いですね!
私も参考にさせていただきます。
Posted by ただの中国史好き at 2011年02月08日 23:52
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。