2010年12月31日

李密

李密 能力データ
魅力 4 / 統率力 5 / 戦闘力 3 / 政治力 5 / 知力 8

李密は煬帝への叛乱計画が失敗して捕まるが、護送途中で巧みに逃げ出して群雄の間を渡り歩き、自身が天下を取る機会を狙っていた。翟譲、李勣らと瓦崗寨に立てこもると、張須陀を討ち取った李密の名は天下に轟いており、アウトロー的気風をもった勇者達が続々と集まって来る。ここで実際に作戦立案と指導をしたのが李密であった。
李密は非常に自身の才能に自信がある人間であり、まずこの一派のボスであった翟譲を謀殺した為に人心が離れる。本拠地を瓦崗寨から洛陽近くに移して魏を立国して自ら魏公となるが、そうした状態の為に李勣秦叔宝魏徴ら唐に好意を寄せる連中を追い出そうとする最中、群雄の一人である王世充に一戦で敗れて魏は雲散霧消。李密は散々考えた末にどうしようもなく李淵に降伏するが、やはり人の下には立てない男は一ヶ月程度でまた背いて逃げ出し、その途中で伏兵にあって殺されてしまった。享年37歳。

この時、魏の将軍達が大挙して唐に帰順し、唐の軍事面が強化されたのは言うまでもない。李密がもう少し器の大きい慎重な男であったなら、その後の歴史は変わっていたかもしれない。
posted by ただの中国史好き at 00:35 | Comment(2) | 唐時代
この記事へのコメント
"李密がもう少し器の大きい慎重な男であったなら、その後の歴史も変わっていたかもしれない"
正におっしゃる通り。戦術や謀略にそれなりの高い能力を有していたために自信が過信へとつながり、隋末の群雄の中で「天下に最も近い」と一時は目されていたのに、ただ一度の敗戦で全てを失ってしまうとは・・・
唐に帰順する以外に本当に選択肢はなかったのでしょうか?淮南や江南の輔公祐や李子通、杜伏威など、華北に比べれば比較的勢力の小さな群雄を併呑し、この方面に新たな王国を築いて中原に攻めのぼるとか・・・
2〜3万位の敗残兵をかき集める事が出来れば、あながち不可能でもなかったように思えます。
随所に才能の煌めきを見せながらも大雑把で精神的な粘りに欠けるところなど、煬帝にそっくりです。さすがいとこ同士。
統率力+1、政治力+1を希望します。
Posted by 李常傑 at 2013年05月03日 18:42
初めてのコメントで不躾ではありますがご容赦下さい。
「李勣、秦叔宝、魏徴ら唐に好意を寄せる連中を追い出そうとする」とありますが、これは隋唐演義での話ではないのでしょうか?
李セキはともかく、秦叔宝や魏徴は王世充との一戦にも参加していたように記憶していたのですが・・・(ただの記憶違いなら申し訳ありません)。
Posted by 通りすがりの質問者 at 2013年08月06日 11:35
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