2006年04月29日

呂尚

呂尚 能力データ
魅力 5 / 統率力 10 / 戦闘力 2 / 政治力 8 / 知力 10

太公望と言った方が判り易いだろうか。生計を立てる為に商売をしても本人にその気が無いので上手くいかず、妻にも見限られた男が当時西方の偏狭の国、周の文王に認められて軍師となり、次の武王の代で大国殷を討伐・打倒する。周建国最大の功労者、太公望呂尚は、中国史上の三大軍師に上げられる(あとの二人は、劉邦の軍師である張良、劉備の軍師である諸葛亮)。呂尚が釣の名人で、釣をしている所へわざわざ文王が僅かな臣下とともに訪れて登用した事はあまりにも有名。太公望とは、太公(文王の祖父)が望んだ人という意味。

中国史上最初の名将と言える伝説的軍師で、後に関羽にとって代わられるまでは中国の武神であった。
posted by ただの中国史好き at 21:21 | Comment(8) | 周時代
この記事へのコメント
非常に重要な歴史の転換期にいた人物とは思えないほど謎に包まれていますね、名前も姜尚やら呂望、呂尚などいっぱいありますからね。
Posted by 肉 at 2011年09月06日 21:05
>肉さんへ

軍師にして死後武神と崇められた稀有(唯一無二?)の人物です。
太公望呂尚、張良、諸葛亮が同じ兵を率いたら、果たしてだれが一番優れているのか、楽しみな対決ですね。多分、諸葛亮が一番落ちるとは思いますが。
Posted by ただの中国史好き at 2011年09月09日 21:59
張良って、兵を率いて戦場に出て戦った事あるんでしたっけ?「帷幕の内に在りて千里の外に事を決する」と言われた史上最高の名軍師ですが将としては・・・
楽毅のところで田単との比較として述べましたけれど、戦略に秀でた将と戦術に秀でた将、双方併せ持つ将、歴史上それぞれに名将と呼ばれた人はいましたが、張良と諸葛亮は完全に戦略の構築に特化した軍師・参謀タイプで「将」ではないと思います。
三人が全く同じ条件で総当たり戦を戦えば、太公望呂尚が問題なく圧勝(2勝)、次いで諸葛亮(1勝1敗)、惨敗するのが張良(2敗)、と予想します。
あくまでも戦場で部隊の運用等、戦術面に限っての話しで、軍師としては呂尚と張良が甲乙付け難く、1〜1.5ランク落ちて諸葛亮、といった感じでしょうか。

Posted by 李常傑 at 2011年09月10日 10:58
>李常傑さんへ

張良については鋭い指摘ですね。。。
劉邦が一大勢力となる前は無くもないですが、大軍を率いた経験は確か無かったかと。

私も李常傑さんと同じ結果予測です。
Posted by ただの中国史好き at 2011年09月10日 21:39
かの有名な封神演技ですと、殷が滅んで周が興り
太公望はその功績により斉に封じられた所で終わります。

が、実際に当時の周にその辺を与えられるような力があったかというとそんな事は全然無くて、周の力の及ばぬ夷狄(莱)の跳梁跋扈する辺境の地。立派な周を脅かす危険候補です。って訳でぶっちゃけ封じるとか言っても内実は呈のいい制圧命令(兼、姫一族じゃない有力者を周の中央から遠ざける口実とも良く言われる)です。

まあそれは中国だしそういう時代だし別に良いんですが面倒を押し付けられて厄介払いされた筈の太公望は莱侯とバトって斉の国土を手に入れ(マジでここから開始)
『土地の習俗に従い(文化風習の違う現地民と羌族を上手い事どうにかして)、礼制を簡略にし、商工業の発展に力を注ぎ、魚や塩の流通を良くし』て、史記を鵜呑みにするならたったの5ヶ月(少なくともかなり早い段階)で国の基盤を整え、自分の代のうちに斉を強国に仕立てて
周公旦に「(こんな有様じゃ)魯はいずれ臣下となって斉に仕えることになるだろう。」と嘆かせる様な真似をやってのけた相手に政治力7は如何でしょう…?


方向性の違いがあるだけで基本的に政治家として周公旦との能力的には同等クラスとして扱われていますし、周公旦に儒家ボーナスを付けるとしても9か、せめて8は欲しい所かと…

軍師といいつつ自身で一軍を率いた将でもあったので戦闘力2はどうかとも思ったんですが、これは個人の武勇かな。
Posted by 通りすがり at 2011年10月05日 18:49
>通りすがりさんへ

確かにそうですね。
政治力を+1で8に上げます。
戦闘力は爺さんになってからの活躍ですので、個人武力としてはもうこんなもんかなと(笑)。
Posted by ただの中国史好き at 2011年10月07日 23:17
「史記によればたったの5ヶ月で・・・」と書いてあるので、問題提起するのも苦しい状況なんですが、斉建国と周辺異民族の統合、産業振興や社会インフラ整備等は、元々複数代にわたって少しずつ推し進められていた事象であったのを始祖であり歴史上の英雄である呂尚1代中の事績として仮託された・・・とは考えられないのでしょうか?
日本の歴史上でも度々見受けられる(ヤマトタケル伝説や聖徳太子の逸話が複数人の事績を寄せ集めてつくられた、とか、戦国の斉藤道三の下剋上が実は親子2代にまたがってのものだった、とか)英雄崇拝や始祖崇拝に基ずく、事象を歴史上の英雄に仮託する事で英雄自身と事象の両方の権威付けを図るような・・・
まあ、余りに古すぎて文献等も限られていて確認もこれ以上出来ないのでしょうけど・・・
Posted by 李常傑 at 2011年10月09日 14:45
>李常傑さんへ

伝説も多分に含む時代ですからね。
ただ、時の君主でもない人物にこれ程までに輝かしい事績が付与されているとしたら、それはそれで太公望の凄さのように思います。
Posted by ただの中国史好き at 2011年10月11日 00:15
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