2006年04月17日

文天祥

文天祥 能力データ
魅力 8 / 統率力 5 / 戦闘力 4 / 政治力 7 / 知力 8

文天祥は、20歳で進士に受かった俊才。試験の答案を見た南宋の時の皇帝理宗は、文天祥を一番と太鼓判を押した。
文天祥が24歳の時に元の猛攻を受け、遷都が論じられるが、彼の叱咤激励によって止まる。だが、姦臣賈似道に疎まれ辞任。以降は在野の身となってフビライ・ハーン率いる大元の侵略にゲリラ戦で対抗する。
文天祥や陸秀夫、張世傑の抗戦虚しく、やがて都臨安は陥落。陸秀夫は幼帝を背負って海に身を投じ、宗王朝は元によって滅ぼされた(宋王朝滅亡時の殉死者は歴代王朝中、群を抜いて最多)。
文天祥は元軍に捕らえられ投獄されるが、フビライ・ハーンの度重なる降服勧告を拒否。史上に有名な「正気の歌」を残して獄死した。

「正気の歌」
天地に正気有り 雑然として流形を賦く
下りては則ち河嶽と為り 上りては則ち日星と為る
人に於ては浩然と曰い 沛乎として蒼冥に塞つ
皇路清夷なるに当たりては 和を含みて明廷に吐く
時窮すれば節乃ち見れ 一一丹青に垂る
斉に在りては太史の簡 晋に在りては董狐の筆
秦に在りては張良の椎 漢に在りては蘇武の節
厳将軍の頭と為り 嵆侍中の血と為る
張睢陽の歯と為り 顔常山の舌と為る
或いは遼東の帽と為り 清操氷雪よりも獅オ
或いは出師の表と為り 鬼神も壮烈に泣く
或いは江を渡る楫と為り 慷慨胡羯を呑む
或いは賊を撃つ笏と為り 逆豎の頭破れ裂く
是の気の旁簿する所 凛列として万古に存す
其の日月を貫くに当っては 生死安んぞ論ずるに足らん
地維は頼って以って立ち 天柱は頼って以って尊し
三綱 実に命に係り 道義 之が根と為る
嗟 予 陽九に遘い 隷や実に力めず
楚囚 其の冠を纓し 伝車窮北に送らる
鼎鑊 甘きこと飴の如きも 之を求めて得可からず
陰房 鬼火闃として 春院 天の黒さに閟ざさる
牛驥 一pを同じうし 鶏棲に鳳凰食らう
一朝霧露を蒙らば 分として溝中の瘠と作らん
此如くして寒暑を再びす 百沴自ら辟易す
嗟しい哉沮洳の場の 我が安楽国と為る
豈に他の繆巧有らんや 陰陽も賊なう不能ず
顧れば此の耿耿として在り 仰いで浮雲の白きを視る
悠悠として我が心悲しむ 蒼天曷んぞ極まり有らん
哲人 日に已に遠く 典刑 夙昔に在り
風簷 書を展べて読めば 古道 顔色を照らす
(訳)
この宇宙には森羅万象の根本たる気があり、本来その場に応じてさまざまな形をとる。
それは地に下っては大河や高山となり、天に上っては太陽や星となる。
人の中にあっては、孟子の言うところの「浩然」と呼ばれ、見る見る広がって大空いっぱいに満ちる。
政治の大道が清く平らかなとき、それは穏やかで立派な朝廷となり、
時代が行き詰ると節々となって世に現れ、一つひとつ歴史に記される。
例えば、春秋斉にあっては崔杼の弑逆を記した太史の簡。春秋晋にあっては趙盾を指弾した董狐の筆。
秦にあっては始皇帝に投げつけられた張良の椎。漢にあっては19年間握り続けられた蘇武の節。
断たれようとしても屈しなかった厳顔の頭。皇帝を守ってその衣を染めた嵆紹の血。
食いしばり続けて砕け散った張巡の歯。切り取られても罵り続けた顔杲卿の舌。
ある時は遼東に隠れた管寧の帽子となって、その清い貞節は氷雪よりも厳しく、
ある時は諸葛亮の奉じた出師の表となり、鬼神もその壮烈さに涙を流す。
またある時は北伐に向かう祖逖の船の舵となって、その気概は胡を飲み、
更にある時は賊の額を打つ段秀実の笏となり、裏切り者の青二才の頭は破れ裂けた。
この正気の満ち溢れるところ、厳しく永遠に存在し続ける。
それが天高く日と月を貫くとき、生死などどうして問題にできよう。
地を保つ綱は正気のおかげで立ち、天を支える柱も正気の力でそびえている。
君臣・親子・夫婦の関係も正気がその本命に係わっており、道義も正気がその根底となる。
ああ、私は天下災いのときに遭い、陛下の奴僕たるに努力が足りず、
かの鍾儀のように衣冠を正したまま、駅伝の車で北の果てに送られてきた。
釜茹での刑も飴のように甘いことと、願ったものの叶えられず、
日の入らぬ牢に鬼火がひっそりと燃え、春の中庭も空が暗く閉ざされる。
牛と名馬が飼い馬桶を共にし、鶏の巣で食事をしている鳳凰のような私。
ある朝湿気にあてられ、どぶに転がる痩せた屍になるだろう。
そう思いつつ2年も経った。病もおのずと避けてしまったのだ。
ああ!なんと言うことだ。このぬかるみが、私にとっての極楽になるとは。
何かうまい工夫をしたわけでもないのに、陰陽の変化も私を損なうことができないのだ。
何故かと振り返ってみれば、私の中に正気が煌々と光り輝いているからだ。そして仰げば見える、浮かぶ雲の白さよ。
茫漠とした私の心の悲しみ、この青空のどこに果てがあるのだろうか。
賢人のいた時代はすでに遠い昔だが、その模範は太古から伝わる。
風吹く軒に書を広げて読めば、古人の道は私の顔を照らす。
posted by ただの中国史好き at 21:24 | Comment(4) | 宋・遼・金時代
この記事へのコメント
歴代王朝の中で最も官僚・士大夫を優遇した宋朝の最期に士大夫としての意地(特権階級としてのノブレス・オブリージュと王朝への忠誠)を体現した、どこまでも「正しい」生き方を貫いた人ですが、所詮は官僚で戦争は上手とは言えなかったようですね。
モンゴル(元)からすればせいぜいしつこいハエ程度で、ハチのように逆撃の一刺し、とまではいかなかったようですが、生き様として立派だった事は間違いないでしょう。
統率力、戦闘力、政治力をそれぞれ-1,というのが私の印象です。
Posted by 李常傑 at 2011年10月16日 11:42
>李常傑さんへ

彼の「正気の歌」は大好きです。魂を揺さぶられる名文ですよね。あのような文章を書ける能力、一本筋な行動は評価したいのですが、確かに融通の利かない柔軟性に欠ける人物で宰相として上手く戦争や政治をやれた感はありません。
統率力を-1で5、政治力を-1で7とします。
Posted by ただの中国史好き at 2011年10月16日 23:26
日本でも古来より、諸葛亮の「出師の表」と並んで「これを読んで泣かざるは男子にあらず」とまで言われた歴史的名文ですね。訳文もあわせて全文追加掲載とは、ただの中国史好きさんがどれだけ文天祥を好きかわかる気がします。

訳を更に要約すると、
「我が国には古来、権力に媚びることなく己の職掌を果たし、節義を通した義人がいた。
また、正統なる王朝を在るべき姿に戻し、天下の順逆を正そうと死力を尽くした義人がいた。
私もそのような古の義人にあやかりたいと努力してきたが、私の努力も才も足らず、我が朝は滅亡し私自身は虜囚の身となってしまった。
この上は潔く死罪となる事を望んだがそれも許されず、牢屋に繋がれてはや2年もの月日が過ぎてしまった。
命永らえることは屈辱でしかないが、節義を通し義を全うした古人のように私もまた節を曲げる事はないのだ。」

・・・こんな理解でよろしいでしょうか?
Posted by 李常傑 at 2011年10月17日 19:12
>李常傑さんへ

更に要約ありがとうございます!
上手い!
Posted by ただの中国史好き at 2011年10月22日 13:00
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