2010年02月27日

恵帝

恵帝 能力データ
魅力 3 / 統率力 2 / 戦闘力 1 / 政治力 1 / 知力 2

武帝(司馬炎)の息子で西晋第二代皇帝、司馬衷。
最初に武帝司馬炎が司馬衷を後継者にするとした際、大臣が溜息をついて玉座をなで、「あぁ、この座がもったいのうござる。」と言ったほど、若い頃から馬鹿殿様で知られ帝位についてからも暗君として歴史に名を留めた。恵帝が大飢饉の際、「民は米が無くて飢えております。」と部下が進言したところ、「米が無いなら何で肉を食わんのだ。」と言ったという。
やがて八人の皇族による謀反「八王の乱」が起こって西晋は混乱に陥り、その渦中で恵帝も叛乱軍に殺されそうになるが、臣下のけい紹が身を呈して皇帝を庇い一命をとりとめる。その際にずたずたに斬り殺されたけい紹の血が恵帝の衣服にかかるが、助け出された後に臣下が服を着替えるように勧めると、「これは忠臣けい紹の血だから自分は着替えない」と言い、後に彼がこうした危険な時代だっただけに敢えて暗愚をよそおっていたのではないかという説の元となった。

がしかし、楊皇太后(武帝司馬炎の皇后)や賈皇后、その一族の専横をも許した恵帝は結局毒殺される。
八王の乱は八人の王が自らの軍事力を強化したいばかりに北方にいる匈奴を呼び込み、西晋の政治の乱れもあって大混乱に陥る。そこを匈奴をはじめとする北方の遊牧民族達があっという間に西晋を乗っ取ってしまった。かろうじて生き残った皇族司馬氏の一人が南へ逃れて長江を渡り、建康に都をおいたのが東晋の始まりである。
posted by ただの中国史好き at 17:49 | Comment(0) | 西晋・東晋・五胡十六国時代
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