2010年01月24日

周瑜

周瑜 能力データ
魅力 8 / 統率力 8 / 戦闘力 7 / 政治力 5 / 知力 7

音楽にも造詣が深い呉の要たる将軍。
周瑜は揚子江下流域の平定に功があり、孫策とは兄弟同然の付き合いで孫策が喬家の美女姉妹の姉を、周瑜が妹を娶ったことは有名。
200年に孫策が死ぬと、弟の孫権を助けて赤壁の戦いを指揮し、中原を制し天下統一に向けて南下する曹操軍を撃破(但し、この赤壁の戦いは曹操にとって致命的な大敗北ではない。それは劉備が陸遜に敗れた際、数多の将軍が戦死したのに比べ、曹操の部下で主だった人間は誰も戦死していないし、この敗北以後に銅雀台という大宮殿を造営しているが、それにも関わらず税金が上がっていない。そして直後から軍事行動を再開して領土も拡大している)。更に曹操を追って南郡を平定し南郡太守となって江陵にとどまった。

周瑜は諸葛亮よりも前に天下二分の計(蜀を取って長江流域を統一し、天下を南北に二分して北方の曹操に対抗)を構想しており、荊州を得た劉備が強大になるのを恐れて先に蜀を得ることを画策したが、攻略に向かう直前に無念にも病死した。
周瑜の死によって劉備軍は歴史の舞台に踏みとどまり、魏呉蜀という天下三分の三国志が現出したと言っても過言ではあるまい。
posted by ただの中国史好き at 22:50 | Comment(3) | 三国時代
この記事へのコメント
いまさら改めて述べる程の事でもありませんが、周瑜(すなわち呉)の赤壁の勝利は後のヒ水の戦いと同程度の歴史的意義を持っていると思われますね。
ヒ水の戦いが南北朝並立を決定付けた戦いであったのに対し、赤壁の戦いは南北朝並立の先駆け、或いは呼び水となったと言えるでしょう。
「天下二分の計」という明確なヴィジョンを持っていた周瑜は正に名将と呼べると思います。彼の目論見通り益州をも併合出来ていたら魏と呉による南北朝時代が史実より100年以上早く到来していたでしょうね。
Posted by 李常傑 at 2011年10月15日 22:19
能力データへのコメントを書き忘れました。

周瑜って個人的武勇もそれほどずば抜けた強さがありましたか?
私のイメージでは
戦闘力-2,政治力+2,知力+1 です。


Posted by 李常傑 at 2011年10月15日 22:31
>李常傑さんへ

頑強な身体であったなら、蜀建国は無かったかもしれませんね。戦略眼といい指揮能力といい戦術含めて当時一流の人物であったことは間違いないですね。
若い頃は孫策と色々戦い、個人の武力も互角だったようですが8は高過ぎたかな…。

知力、政治力は上げるべきなのかもしれませんね。何しろ呉国内でも若くして君主や重臣達から一目置かれていましたし。
Posted by ただの中国史好き at 2011年10月16日 01:47
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