2009年12月23日

魏延

魏延 能力データ
魅力 6 / 統率力 8 / 戦闘力 8 / 政治力 3 / 知力 5

劉備が漢中王となった際、漢中太守を誰にするかが重要な問題となった。
漢中太守は対魏の最前線を担う重要なポストであり、言わば北方総司令官に相応しい人物でなければ務まらない。当時、張飛が選ばれるという予想が一般的であったが任命されたのは魏延で皆驚いたという。魏延はそれだけ劉備から高く評価されており、劉備に対する忠誠心も高かったが、劉備の死後に諸葛亮が軍権をも掌握すると先帝の存命中は前線にも出てこなかった諸葛亮の指揮下で北伐の失敗も続いた為に不満を募らせる。

そもそも、魏延は赤壁の戦い以後に劉備に仕えるが、その時に自身が仕えていた太守を殺して劉備に降った(三国志演義では、これも理由に諸葛亮が劉備に対して魏延を謀反人の相があるので殺した方がいいと勧める)。その後、関羽や張飛、趙雲、馬超、黄忠亡き後は蜀随一の猛将として活躍し、劉備が皇帝に即位すると鎮北将軍に昇進。丞相諸葛亮幕下にあっても最前線で働くが、次第に確執が大きくなって諸葛亮の死と同時に蜀軍撤退を託された楊儀によって反乱者に仕立てられる。「魏延、謀反す」の報は蜀国内を震撼させたが、自分を殺せる者など蜀内にはいる筈もないという傲慢もあり馬岱に討たれ、蜀最後の猛将は散った。
posted by ただの中国史好き at 22:53 | Comment(1) | 三国時代
この記事へのコメント
逆に言うと、既に同時代において武将としての声望が天下に鳴り響いていた(「関羽・張飛は1人で兵1万に相当する」)張飛を差し置いて漢中太守に抜擢された事が魏延自身の自己評価を肥大化させてしまい、劉備・関・張・馬・黄・趙ら死後に自分が蜀軍のトップになるべき、むしろなって当然、と思うようになり、諸葛亮にとって扱いにくい存在になってしまったように思います。

劉備からすれば、魏延の武将としての彼のプライドをくすぐり、自身への忠誠心を高める一挙両得の妙手だったのでしょうけれど。難しいものですね・・・
Posted by 李常傑 at 2013年01月22日 22:15
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