魅力 6 / 統率力 8 / 戦闘力 7 / 政治力 2 / 知力 6
後漢の呉漢将軍・・・判り難いが光武帝劉秀幕下でも屈指の名将である。
武勲は馮異、岑彭を凌ぐが、朴訥ながら気性が激しく、攻め落とした敵国や領土での鎮撫は苦手で呉漢が占領した地で叛乱が起こり岑彭が鎮定しに行くということがあった。
その岑彭が蜀軍の刺客の手に倒れるや、激情の人、呉漢は復讐戦に乗り出し八度の激戦全てで蜀軍を打ち破り蜀を滅ぼす。ただその際に光武帝の命令を無視し、蜀王公孫述および延岑の一族を岑彭の仇として皆殺しにし、宮殿を焼いてしまう。
後の明の太祖朱元璋の軍師、劉基が歴代の名将の戦についてまとめた「百戦奇略」という書にこの呉漢の対蜀戦が挙げられているが、彼の戦には常に略奪がつきまとい、光武帝にも譴責されている。
光武帝28功臣の一人で序列第二位。
詐謀については知力で考えています。