2009年09月01日

岑彭

岑彭 能力データ
魅力 8 / 統率力 8 / 戦闘力 6 / 政治力 5 / 知力 6

劉秀(後の光武帝)挙兵とともに幕下に馳せ参じて大将軍にまで昇進。主に河北地方の平定に尽力した。
岑彭は光武帝即位後も自在な用兵術で各地を転戦、平定し、荊州を任され江南地方を鎮撫。
岑彭軍は規律正しく、掠奪を一切行わなかった為に行くところ郡県は争って降ったという。

主な戦いとしては、秦豊戦で西方を攻めると宣言して捕虜をわざと逃がし、夜中に渡河を敢行。捕虜の情報を信じ全軍で出陣した秦豊の抜け殻の陣を攻めてその東に陣営し、夜中に襲って来ることを予測してこれを返り討ちとした。
天下統一を目指した蜀の公孫述との戦では、配下に公孫述の将である延岑を攻めさせ、その間秘かに渡河して江州に戻り、成都江を遡って公孫述配下の侯丹を撃破。そして夜中に強行軍で武陽を降し、精鋭の騎兵を広都に馳せさせるという電撃戦をやってのける。
当初、岑彭が平曲にいると聞いていた公孫述は延岑らに大兵をもって迎え撃たせたが、その延岑の背後に岑彭が現れたと聞いて「これは神業か」と驚愕した。

だが、あと一歩のところで刺客により暗殺され最期を迎える。
光武帝28功臣の一人で序列第六位。
posted by ただの中国史好き at 17:48 | Comment(0) | 後漢時代
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