2008年12月13日

アッティラ

アッティラ 能力データ
魅力 7 / 統率力 10 / 戦闘力 8 / 政治力 4 / 知力 6

強力な騎馬民族であるフン族の王ルーアの甥として生まれ、後に兄ブレダと共に王位に就く。がやがてブレダを狩の最中に謀殺して単独の王となるや、以後中央ヨーロッパから東ヨーロッパ、ロシアにまたがる世界史上屈指の版図となる大帝国を築いた恐るべきフン族の大王(チンギス・ハーンのモンゴル帝国は別格として、アレクサンドロス3世のマケドニア王国、ナポレオン・ボナパルトのフランス、冒頓単于の匈奴、ティムールのティムール帝国、アクバルのムガル帝国、トラヤヌスのローマ帝国、木杵[ムカン]の突厥等と並ぶ規模)。

度々東西ローマ帝国へ侵攻しては領土割譲を得るか多額の賠償金を得て退却する事を繰り返した為、ローマ圏からは「神の災い」「神の鞭」として畏怖され、ガイセリック(ヴァンダル族)と並び破壊者の象徴として恐れられた。ローマ帝国以外にも東はバルト海沿岸のゴート王国を滅ぼし、フランク王国を属国化し、ブルグント王国軍を壊滅させた。
フン族による征服の際の容赦無い殺戮と略奪を恐れた諸民族によって民族大移動が行われたとまで言われるまさに恐怖の帝国であり、後のチンギス・ハーンやティムールは東方からの侵略者としてモンゴロイド系(黄色人種)であったとされるアッティラの再来と呼ばれて恐怖された。一方で、北欧圏ではアッティラは偉大なる王として畏敬されている。

この恐怖の大王の死はあっけなく訪れる。
40歳、自身の新たな妃として美女イルディゴを迎えた婚礼の儀で泥酔し、鼻血による窒息死(脳溢血)で死亡。アッティラを失ったフン族は、後継者である長男エラクがネダオの戦いで東ゴート族とゲピダエ族の残党に敗れると一挙に瓦解、崩壊した。
posted by ただの中国史好き at 12:26 | Comment(0) | 中国史以外
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